東大の赤門
とても華やかな輿入れの浮世絵が入荷しました。
国政Ⅳ (国貞Ⅲ)「松乃栄 旧幕府の姫君加州家へ御輿入の図」は
文政10(1827)年に徳川第11代将軍家斉の第21女・溶姫が加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れしたときの様子を描いたものです。
右奥に赤い門が見えますが、これは今の東京大学のシンボルの一つである「赤門」。溶姫を迎えるため建立されたものです。
赤門は御守殿門のことをいい、江戸時代、大名家に嫁した将軍家の子女のその居住する奥御殿を御守殿あるいは御住居と称して、
その御殿の門を丹塗りにしたところから俗に赤門と呼ばれたそうです。
婚姻が文政10(1827)年なのに対し、国政Ⅳ (国貞Ⅲ)によって描かれたのは明治22年。
この年は家康の関東入国の天正18(1590)年から数えて三百年に当たり、東京開市三百年祭が営まれた年であったため、この図が描かれたようです。
ちなみに赤門は消失した場合、忠誠心の欠如とみなされ、再建も許されなかったそうで、姫君が亡くなると直ちに御守殿と一緒に取り壊され、その数は減っていきました。
加賀藩の赤門は、明治元年まで溶姫が存命だったために取り壊しを免れた貴重なケースです。
この赤門、国の重要文化財に指定されており、医科大学の建設のため明治36年現在の位置へ移されましたが、元は15メートルほどキャンパス寄りにあったそうです。
なお、「赤門」はこの他浮世絵に描かれており、
広重晩年の代表作「名所江戸百景」では井伊家と鍋島家の赤門が描かれている作品があります。
広重「名所江戸百景 外桜田弁慶堀糀町」
こちらの赤門は彦根藩井伊家のものです。
広重「名所江戸百景 山下町日比谷外さくら田」
正面に見える赤門は佐賀鍋島藩のものです。
ちなみのこの正面のあたりは今の日比谷公園のあたりだそうです。
また、「赤門」を描いた作品というとこちらの新版画を思い出す方も多いかもしれません。
笠松紫浪「本郷赤門の雪」
赤門と雪のコントラストが美しい作品です。
浮世絵は当時の様子を知る「歴史資料」でもあります。
一つの建築物に焦点を当てて、色々調べてみるのも楽しいかもしれません。