落合芳幾
東京渋谷の太田記念美術館で開催されている
「落合芳幾」の展覧会に行ってきました。
国芳の門人である芳幾ですが、これまで紹介される機会が少なく、
こうして全貌を紹介される展覧会は初めてだそうです。
17歳で国芳に入門した芳幾は安政元年ころから単独で作品を発表し、
武者絵や、戯画、役者絵、横浜絵など様々なジャンルを手がけました。
芳幾の代表作といえば、「英名二十八句」
同門の月岡芳年と共作した血みどろ絵です。
芳幾「英名二十八衆句 遠城治左エ門」
遠城治左衛門と安藤(遠城)喜八郎の兄弟は、末弟である宗左衛門を殺害した生田伝七
郎に仇討ちするため、約束の場所である崇禅寺馬場に赴きます。しかし、伝七郎の門弟たちに
よるだまし討ちに合い、兄弟は二人とも殺害されてしまいます。血だらけとなってしまった兄の治左衛門を描いています。
また、芳幾といえば、東京日日新聞の創刊メンバーだったことでも知られています。
現在の毎日新聞の前身です。
ここで、新聞錦絵という新しい分野を切り開きます。
芳幾「東京日々新聞 六百九十七号」
幅広いジャンルを描いた芳幾ですが、
国芳の弟子らしい、ユーモアあふれる役者絵を描いています。
芳幾「真写月花之姿絵 河原崎権十郎」
当時の人気歌舞伎役者たちを、横顔の影絵で描いたシリーズです。こちらは河原崎権十郎、
のちの九代目市川團十郎を描いています。
ユーモアといえば、こちらも人気が高い作品です。
芳幾「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」
当時の銭湯の様子が伺えます。
靄軒生「落合芳幾《明治の錦絵》」(『日本及日本人』701号、大正6年) には、
かつて歌川国芳が「芳幾は器用に任せて筆を走らせば、画に覇気なく熱血なし」と評したと記しています。
ちなみに芳年については「芳年は覇気に富めども不器用なり」と言ったそうです。
確かに芳幾は器用なのでどんなジャンルでも描けたのでしょう。
ただ、同じ弟子である芳年のようにインパクトのある絵は少なく、
それゆえ、なかなか語られることのない存在になってしまったのでしょう。
会場には珍しい芳幾の肉筆画も展示しています。
展覧会は残すところ、あとわずか(26日まで)。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/2018/yoshiiku
まとまって見る機会がなかなかない絵師ですので、
ご興味有る方はこの機会にぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう。