「清親―光線画の向こうに」17日までです。
先日、東京、町田市の町田市立国際版画美術館に行ってきました。
「清親―光線画の向こうに」
昨年は清親没後100年の記念の年で展覧会が続きましたが、
こちらの展覧会はその最後を飾る展覧会といってもいいのではないでしょうか。
版画専門の美術館だけあって、版画が約300点並び、かなり珍しい作品もありました。
清親といえば、季節や天候の移ろいを光と影で表現した「光線画」で知られますが、
それは、清親の版画のある一部分。実際清親は明治9年頃から光線画の作品を発表し、明治14年にはやめてしまいます。
(6年間で93点)
没するのは大正4年、1915年ですから、代名詞にもなっている光線画の時代はかなり短いものだったのです。
展示の後半のほうで、清親の美人が画展示されていました。
清親「花模様 安永頃」
湯上りなのかぬか袋を口にくわえる女性。
歌麿を思い起こさせるような美人画です。
明治29年、清親50歳ごろの作品。光線画や戯画の清親をイメージしていると不思議な感じがしますが、
ある種、これは浮世絵の「王道」。
それが廻ってこなかった若い時は、
試行錯誤し、光線画など新しい試みをし、
ようやくこうしたものを描けるようになったということでもあるのです。
また、今回は清親の「戦争画」も多数展示されています。
明治27年、日清戦争が勃発すると、清親に戦争画の依頼が相次いだそうです。
浮世絵が終焉に近づき、それまで雑誌の挿絵などが中心だった清親にとって
久々に舞い込んだ「錦絵」の仕事。
並々ならぬ意欲を持って取り組んだ作品は
「戦争」を描いたにもかかわらず、光線画を出培った表現を元に情緒的、幻想的に仕上がっています。
清親「平壌攻撃電気使用之図」
清親「我野戦砲兵九連城幕営攻撃」
この他、明治の漫画界を牽引した諷刺画家としての清親、
また、国粋主義が高まると新たに生まれた「歴史画」というジャンルを
社会の求めに応じて描くなど、清親はその画業の中で幅広い作品を残しています。
タイトルの「光線画の向こうに」とありますが、
光線画後に生み出された多彩な作品を紹介する展覧会。
17日までです。ぜひ足をお運びください!