秋華洞スタッフブログ

日本の古美術・近代絵画を軸に、浮世絵、古典籍、その他書画骨董。茶道具、西洋美術品も扱います。

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追悼 中村勘三郎さん

   

歌舞伎界のスター、中村勘三郎さんが亡くなりました。

病気のニュースは以前から耳にしていましたが、
新しい歌舞伎座での勘三郎さんの芝居を多くの方が心待ちにしていた
かと思うと、残念でなりません。

中村勘三郎家といえば、
江戸の歌舞伎繁栄を支えた江戸三座のうちの
中村座の家柄です。
もともと芝居小屋は日本橋付近に中村座、森田座、
そして、銀座から新橋にかけての場所に山村座がありましたが、
天保の改革を期に3つの芝居小屋が
浅草に移転することに条件に興行が許可され、
幕末の芝居エリア、「猿若町」が生まれたのです。
3つの芝居小屋が並ぶことによって、
交流や競争も盛んになり、歌舞伎ブームを生み出したというわけです。
いわば一大エンターテイメント街、ブロードウェイのようなものでしょうか?
勘三郎さんが今年5月まで浅草で興行していた
「平成中村座」はその江戸時代の中村座の再現だったわけです。
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中村座、今年4月公演の際の写真。
丁度桜が満開でした。携帯の写真なので、鮮明でなくてすみません・・・。
さて、その繁栄を物語るように猿若町の芝居小屋は浮世絵にも
度々描かれています。
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「東都名所猿若町芝居」 初代広重
上演演目は江戸歌舞伎で正月に上演するのが慣例となっている、
「曾我の対面」のようです。
ぎっしり観客で埋った芝居小屋に江戸の人々のエネルギーを感じます。
舞台奥の席は芝居を横からしか観ることができないため、お手頃価格の席。
平成中村座でもこの席が再現されており、
その席で観たスタッフが、
「舞台袖の準備風景なんかも観ることができて、おもしろかった!」
といっていました。
4月の公演では勘三郎さんはサービス精神たっぷり、
花道を使わず、客席を歩き、お客さんをいじったり・・・。
2度とあの姿を観ることができないと思うと、本当に残念です・・・。

 - 浮世絵