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鏑木清方は三大巨匠の中で何故偉いのか

鏑木清方は何故偉いのか

鏑木清方(1878年-1972年)は、美人画の巨匠として高く評価される画家であり、その評価の理由は、日本美術の伝統と近代的な感覚を融合させた独自の作風にあります。美人画の巨匠としては、上村松園がその頂点とされることが多いものの、見方によっては鏑木清方をトップと位置付けることも可能でしょう。

彼は江戸時代の浮世絵や肉筆画から強い影響を受けつつ、単なる装飾的な美人画を超え、深みと物語性を作品に宿しました。また、女性の日常生活や日本の風俗、季節感を巧みに取り入れることで、彼の作品には時代の空気感が鮮やかに反映されています。写生を重視する清方の技法は、女性像に現実感と親しみやすさを与え、作品全体に生き生きとした魅力をもたらしました。

弟子筋の伊東深水らが美人画の近代化に大いに貢献した一方で、清方は江戸と近代をつなぐ風俗画の巨匠として、作品の細部にまで行き届いた季節感や状況描写の細やかさを特徴としています。この奥深さは一点一点の作品に表れており、その存在感を際立たせています。

清方の代表作「新富町」「築地明石町」「道成寺」などは、美人画における彼の技巧と美意識を象徴する名作として広く知られています。1955年には文化勲章を受章し、その功績は公的にも高く評価されています。また、彼の作品の評価額も幅広く、数十万円程度で手に入るものがある一方、最高峰の作品では億単位の価値がつくことも決して不思議ではありません。


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