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江戸中期の美術品の買取
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弊社では江戸中期の美術品を積極的に買取しています。江戸時代中期(1690年~1780年頃)は、前期から続く幕府による鎖国体制のもとで大衆のなかに濃密な文化的嗜好が根付き、中心地であった江戸・京都のほかにも、各藩・各都市において多様な文化が形成されました。伊藤若冲、長沢蘆雪、池大雅、与謝蕪村、司馬江漢、亜欧堂田善など、江戸中期の作家たちの美術品をお持ちでしたらぜひご相談ください。

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1.御用画派の衰退と”写生”のめばえ

江戸前期に注目されていた狩野派や土佐派ら御用画派たちは、彼らの「お手本」である粉本(古典絵画)を用いて絵を学んでいましたが、こうした粉本主義により画面の形式化・単調化が進んだことにより、各画派はしだいに衰退していきました。この粉本至上主義のなかでは、ときに火災で粉本を失った家が廃業せざるをえないといったおかしな状況も生まれるほどでした。

こうした潮流のなか、京都において町絵師であった円山応挙や呉春により写生画が盛んに描かれました。とくに応挙は確かな写実性と柔軟な発想による画風で人気をあつめ、円山派の祖として活躍しました。

2.「南画」の興隆

18世紀前期、長崎に伊孚九という清の画家が来航し、祇園南海、柳沢淇園らに中国文人画(南宗画)を伝えました。こうして日本において習得された南宗画を南画といい、その後京都の画家であった池大雅が柳沢淇園に絵を学び展開しました。

18世紀において南画は池大雅や与謝蕪村により、中国絵画へのあこがれと確かな日本へのまなざしをもって大成されてゆきました。

3.近づく西洋

長崎より西欧文化が伝わっていた江戸において、西欧の美術を独学で学んだ司馬江漢をはじめとして日本洋画が開拓されました。

司馬江漢は独力で銅版画の試作に成功したほか、日本在来の材料による油絵作画などさまざまな西洋の絵画技法に挑戦しました。

江戸中期の作品をお持ちでしたらぜひお気軽にお問い合わせください。

江戸中期の作家

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