銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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田中一村展2024

   

上野の東京都美術館で開催されている田中一村展に行って参りました。

この5月に奄美大島に一村の美術館や終の棲家を尋ねた折でもありまして、少しのご縁も感じたりも致します。

今回驚かされたのは作品点数の充実ぶりでした。彼には東京時代、千葉時代、そして奄美時代と大きくみっつの時期があるのですが、いずれもがおそらく新発見と呼ぶべき作品が追加されていて、過去の彼の個展からスケールアップして、彼の実力がさらに実感される展開になっています。

一村終の棲家に降りる道(現在)

一村の作品はなんと10歳以前から秀作があり、20歳頃にはすでに円熟期かと思わせられる技術と画想があるのですが、将来を嘱望されて東京美術学校に入学するも、数ヶ月で学校を去ることになります。そのことが一村の蹉跌の第一歩となり、多くの支援者に恵まれたにもかかわらず、中央画壇での評価が得られなかった一村の仕事は、素晴らしい描写力に恵まれていたにもかかわらず、あまり知られずに埋もれていきます。

画力がずば抜けているにもかかわらず、同時代に認められなかったのは故あることなのか、そうでないのか、ここは当時の日本画壇の流れと、彼の南画の基礎あっての日本画の流れを見ての研究の余地が非常に残されていることが分かります。

よく比較されるのは同時代の東山魁夷です。一村は東山の出世と自分の境遇を引き比べての想いがあったことが知られています。日本画の最高峰と生前高く評価され、今なお語り継がれる東山魁夷と、死後にはじめて評価された一村の人生は好対照ですが、今を生きる私たちがどちらの作品が好きなのか、それはわたしたち自身の見方や生き方とも通じているかもしれません。

現代に一村が生きていたら、彼の構図のつかみ方、色の使い方、古典を踏まえた発想の豊かさをふまえて、バックアップする画廊が必ずついて、実力通りの知名度を得ていたのではないでしょうか。一村の時代、現役作家の活動を応援する画廊は少なかったのです。

けれども、奄美の自然に出会い、熱帯を日本画の技術で捉えるという大仕事は、もし「恵まれていたら」できなかったかもしれず、小粒の絵描きにおさまっていたかもしれません。

一村 熱帯魚
本展出品作(部分)

結婚もせず、子供ももうけず、ひたすら節約して絵に打ち込んだ彼の孤独な魂は、繊細で大胆な仕事に打ち込むことで、想像もできない、おおきな喜びに満たされた居たかもしれません。人間の運命、そして天命というものは分からないものだとも思います。

ともあれ、地元の少数の人々による死後の展示から始まって、テレビで評判になり、ここまで大規模な個展が彼が一時通った上野の学園のそばで開かれ、私たちがその画業のおおきさを知り、魂の行方を想像する機会に恵まれると言うことは、私たちにとっても僥倖と言うべきではないでしょうか。

私どもでも、かなり多数の一村を扱って参りました。最近まで所蔵していた作品を紹介しておきます。現在も米邨落款の作品も多少在庫しておりますので、ご興味のある方はお問い合わせ下さい。

一村ボタン

牡丹図(部分)弊社旧蔵

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