銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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美人画の時代展行ってまいりました

   

町田市立国際版画美術館というところに、「美人画の時代」展を見に行ってまいりました。

 今回は、私どもで所有している鏑木清方の美人画を一点お貸し出ししているので、その展示確認のためもあって週末のお昼下がりにお邪魔いたしました。

この町田という神奈川のようでいて神奈川で無い、さりとて東京というには、一種異郷であり幻の西の都の感もある町田市に、版画専門の美術館があるのは何か絶妙な組み合わせとも思えます。

版画芸術という分野が日本美術史において、重要な位置を占めるというのは美術に携わって一二年ではふつうピンとこないでしょう。しかしながら、大衆美術と金持ち用美術を往還しながら発展してきたサブカルとハイアートがスフレのように折り重なって構成される日本美術の本質が見えてくると、版画の知見だけを重ねる一大センターがあることの重要さはジワジワわかって来るのです。

今回の「美人画の時代」展はその意味ではこの館らしい、版画美術と肉筆絵画を往還しつつ、「美人画」の発生源を丹念に探る真摯なものでした。

今私どもが池永康晟さんと唱導しているところの「美人画」はどちらかといえば、伊東深水、鏑木清方、上村松園あたりとその周辺で一旦終了した「美人画」史を復活させるところの「ルネッサンス」的試みですが、そもそもその時代の「美人画」群は、鈴木春信、喜多川歌麿、鳥居清長らが形式として定着させた「ポートレイト」的な大衆絵画へのおおいなるリスペクトから発生したものです。

今回の展覧会では清方の勝川春章への尊敬がクローズアップされていますが、それ以外でも明治大正期のいわゆる美人画家は、江戸への憧憬という統一テーマが底流に流れていることは、彼らの多くが江戸美人画の模写をしていることから明らかです。

連綿と過去への憧れが次への原動力となっているのは洋の東西を問わずのことで、ウディ・アレンが監督した「ミッドナイト・イン・パリ」でも描かれていますし、安倍内閣の「日本を取り戻す」というキャッチフレーズもそれと似ているかもしれません。

今回の展示では、その歴史が多くの版画・肉筆画を用いて非常に精緻に語られており、「美人画」の正統を学ぶのにもっとも必要な展示内容でした。

 今回、思い切って「春画」を展示したことも意義はあったでしょう。実は、美人画は俗の極みである春画の作例を抜きにしては何も語れません。たとえば初期美人画の重要なプレイヤーである春信はおそらく実質的に春画作家といってもいいと思います。彼の作風は男女不詳、年齢不詳の人物たちが自由自在に家の内外でコトに及んでおり、このとぼけた味は、現代の脱力系エロ、先日亡くなった吾妻ひでお先生のナンセンスSFエロ世界観につながるものです。オバマ的ポリティカル・コレクトネスが叫ばれる現代に至る、西欧キリスト教的価値観が持ち込まれた明治以降の日本の表現は本音と建前に引き裂かれますが、村上隆・会田誠を含むコンテンポラリーおよびコミケ的サブカル表現が過激な少女趣味に固執するのはこの春信的感覚が戦略的にも無意識的にも受け継がれているのだろうな、と思います。

喜多川歌麿「青楼七小町 玉屋内 明石 うら次 しま野」寛政6-7年(1794-95)頃 大判錦絵 神奈川県立歴史博物館

今回も清永の最高傑作春画「袖の巻」、肉筆春画の最高峰ともいえる月岡雪鼎の春画巻物などが展示されており、江戸のエロ探求の生真面目さと奥深さの片鱗が見えるしかけになっています。

春画の話は脇におくとして、実は「美人」に対するカテゴリ探求は明治以降の版画芸術にも引き継がれ、明治には月岡芳年、大正・昭和には橋口五葉、鳥居言人、小村雪岱など大スターも生まれ、上村松園のように美人画の通俗的側面を一切切り捨てた強い輝きにはかき消されがちですが、これら男の作家たちによる「エロ」美人へのこだわりは、今も傑作として実は語り継がれています。

美術館的なお話だけでは文章が退屈になるかもしれませんので、少しだけ値段の話もしておきますと、春画「袖の巻」など春画の名品は数千万出さないと手に入らないことが多いですし、橋口五葉の名品も数百万かそれ以上、いたします。歌麿は数万から1億以上のものまで様々ですが、億がつけられるものの奇跡的な美しさは、目ン玉が顔の前についている人間なら説明されなくてもわかる精妙な美しさに息を呑むものがあります。

今回竹橋の近代美術館におさまった清方の大幅は1億以上の値段がつきましたが、上村松園は清方以上の値段がつくことがあります。もっとも、ふたりとも数十万のお手軽サイズのものもありますので、一般のご家庭で手が届かない、というわけでは必ずしもありません。

正直に言って、今回の浮世絵展示は例によって暗い照明のもとですので、老眼が出てきた私には長い時間をかけるには少しつらいものでしたが、「美人画」を「美術史」だけでなく、「風俗」的にとらえるなら、ここにさらに、戦前戦後のイラスト、漫画、写真、現代美術なども加えなければいけませんが、そこまでやったら会場が三倍あっても足りません。私は間違いなく遭難するでしょう。ただ、現代に美人画を描こう、あるいは鑑賞しようと思えば、それらの流れも重要にはなってきます。

日本だけにある謎の画派、「美人画」。それは「日本画」という言葉と同様、世界美術史から見ると若干曖昧な概念ですが、江戸時代半ばから現代に至るまで10-20年ごとに起きた奇跡の絵画イメージ、そしてそのことへの憧憬の連続が、今も続いている、と考えてみてもいいでしょう。

 Wikipediaの「美人画」の項目にはありがたいことに、現代「美人画」の旗手として、我らが「池永康晟」さんの名前が、ひとり、あがっています。この展覧会が語った「美人画の時代」は、果たしてこれからも続いていくのかいかないのか、それはこの文章を読む貴方と未来の鑑賞者に判断を委ねたいと思います。

ただ、いわゆるビジンガの時代が続こうと続くまいと、私達の日本女性の美しさへの感動は続くでしょう。その意味では、美人画が本当になくなる日が来るはずもありません。

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