2016年画廊の夜会は「引率」しました
本年の「画廊の夜会」は、27日の夜、金曜日であったが、今回は中央区の市民カレッジの皆さんの画廊巡り「引率」をさせていただきました。
今回廻ったのは、銀座柳画廊、思文閣、瞬生画廊、広田美術、表玄、秋華洞、小林画廊。
二つのグループに15人ずつ別れたのですが、それぞれのグループに入って欲しい、という要請があり、僕は実は、思文閣、柳画廊、瞬生さんを二度行き、広田さんと表玄さん、小林さんには行くことが出来ませんでした。
普段、他の画廊を廻る余裕はないので、いい機会ではありました。というのも、業界は一種の「家族」的な雰囲気もあり、多くの画廊では僕は「チアキ」と呼び捨てないし、「チアキサン」などと呼ばれているわけですが、近すぎると「よそ行き」の話はあまりしないので、みなが自分の展示作品についてどのように考えているのかなど、「タテマエ」という名の「ホンネ」を聞く機会があまりないのです。
瞬生さんでは、松田正平の個展をやっていたのですが、社長の今津洪太さんの話によると、正平は70過ぎまで奥さんに食べさせてもらっており、70過ぎてはじめてもらった「賞」でようやく売れるようになった、ということ。自由で、恬淡として油の抜けた味わいのあるあの松田正平の画面は、この画廊の主力作家である香月泰男や、熊谷守一に通じる世界ですが、女房にほぼ一生の大半を食わせてもらっているということに耐えられる神経と条件が整っていてなりたっている世界、とも言えそうです。
絵の世界、絵描きのプロの世界が実際のところどのようにして成り立っているのか、というのが、画家にとっても、画廊にとっても、いちばん関心の深いところです。たとえ最初売れなくても、本人も周囲も信じて、花木を育てるように、下草を取り除き水をやり続けなければ、けして花を咲かすことができないのが「画家」というものですが、問題なのは、その画家が半年で咲く「花」なのか、育つのに60年かかる「木」なのか、あるいは死後にはじめて名前が登る「化石」的な人なのか、育ててみなければワカラナイ、というところでしょう。
死後に「水」をやり続けて育つ「作家」もいますよね。ゴッホもそうだし、わが武蔵高校の偉大なる先輩、今井俊満もそうかもしれません。ゴッホは死後の画商の努力で恐ろしい値段になりましたし、アンフォルメルの旗手、今井先生は生前の名声がかなり忘れられていましたが、白髪一雄など「具体」の活動がスポットを浴びるようになる中で、今美術業界が「水」をやっている状態といえるでしょう。
私どもが扱っている池永画伯も、泣きながら絵肌を研究した誰にも知られない20年間があるわけですが、その間も自分を信じて自分に水をやることはもちろん、周囲の友達に支えられた時期が有るはずで、人の心や仕事が必ず誰かの「無償の愛」で支えられた時期があるはずです。松田正平の場合も、そこには必ず誰かの「信念」と「愛」があったはずです。
画廊は「ココロの世界」に値段をつけて売る世界ですが、「市場原理」ともうひとつ、「愛の原理」、あるいは信じるという「狂気」が必要な世界なのではないかと思います。
このブログ、書き出しと結論がぐっちゃぐちゃだな。まそのほうがライブ感あるからいいか、ということにしておきます。
- PREV
- 北川麻衣子個展、二日目です
- NEXT
- 集中鑑定会、本日11時から