アートフェア東京2015終わったあと『流星ワゴン』見て書いた画学生へのことば
2016/07/09
アートフェア東京が昨日で終わった。
たいへんな盛況であったし、展示のレベルというか楽しさも年々アップグレードしていると思う。毎年出ているギャラリーは、内容は全く同じでも、作家さん自身が進化して、表現の稠密さ、メッセージ性など決してマンネリでなく、前に進もうとしていることが感じられた。
私どもの展示は「をんな絵」展と称して、二年前の構成とほぼ同じ内容であったが、やはり作家たちの進化を強く感じた。池永は自身の作品集の出版、AKB48横山由依の写真集への作画提供を経て人気も確たるものがでてきたし、図柄にポップな美しさやますます上品で濃いエロチシズムが充満してきたように思う。中原も作品に込めるエネルギーはますます高まり、岡本もモチーフにあらたな展開を予期させる。
アートフェアのよさは何より、出会いだ。お客様や作家、同業者との出会い。今年も様々な出会いがあった。ただたんに名刺交換というものではなくて、今後仕事において強いつながりを持てそうな予感を持つ。
夜も様々な人と飲んだ。
若い作家の現況についても話をした。若い作家は情報が少なく、自らの作品をどのように世に送り出すのか、まったくの手探りで、アートコンシェルジェの山本冬彦さんなど、ごく一部のひとの情報や識見に頼りすぎるとのこと。よく画廊を回る人は何人かいて、そのなかで山下裕二さんと山本冬彦さんは誰よりも目立つ存在だし、雑誌などに連載も多い。けれども、画廊ビジネスに関わる人やその世界は、非常に多く、深く、広い。絵かきを目指す人や画廊ビジネスに関わりたい若い人は、もっと、もっと、画廊を自らの足で歩くべきだと思う。山下さんも、山本さんも、自らの足を運び、自分の目で、作品や画廊主を見て、ときには歯に衣着せぬ勢いで評論する。しかし無論彼らにも自分の好みがあり、視野もすべてをカバーするわけではない。当たり前だ。一人の人には一人の人にできる限界がある。画廊の「心」は、本当は本を読んだり、話を聞いたりするだけではわからない。かつて白洲正子という人がいて、青山二郎や小林秀雄の薫陶を受けて壺中居や柳孝さんのところへ突撃して眼を育てて多くのコレクションと著作をものしたけれど、ここで大事なことは彼女が彼女自身の好みをもとに、行動したことだ。
若い人、絵かきや学芸員、画商の卵は、自分で自分の目を育てるべきで、誰か一人を盲信するべきではない。画廊ビジネスに関わる人は例外なく、よく勉強していて、目配りも広い。しかし世界観は全く違う。本当に多くの個性があり、一見ボンヤリしていても考えが深かったり、一見やり手に見えても単視眼的であったり、さまざまだ。そしてたいてい、一度会ったくらいではわからない。何度も何度も会うなかで、そのひとの本質がわかる。アートフェアに出ていない画廊でも、有力なところ、心あるところもたくさんある。有名な誰かに認められる、そんなことは一時的なことだ。自分の道を信じて、ともに価値観をぶつけ合える誰かがこの世には必ずいる。年上だろうが年下だろうが、そういう心の「朋輩」(すんません、ドラマの影響)を見つけてほしい。
それから、どんな画廊もどんどん世代交代して、新しく生まれ変わろうとしている中で、どんどん変化があるということだ。「この画廊はこういうことが強い、こういうことしかやらない」。そうかもしれないが、実は、画廊も人がやっている。出会いで人は如何様にも変わる。今回の展示でも、画廊によっては、こんなところがこんなものをやるのだ、というものも多かったし、普段の商売とはぜんぜん違うイメージのところも多かった。つまり私達も、あなた達と出会って、変わっていくのだ。若い人は、世界を変える力がある。誰にも、世界を変える力がある。そのために、アートフェアだけでなくて、様々な画廊に足を運んで、臆せず社長に会ってほしい。学生時代の「時間」は、絵の鍛錬もあるけれど、人を見る目の鍛錬にも使えるはずだ。
ゆうべ家に帰ってから、『流星ワゴン』の最終回を見た。もう死ぬはずだった主人公は、父親の生霊と過ごした数日間の旅を経て、再び最悪の現実を生きる決意を固める。「意思」さえあれば、自分の現実は変えられる、そういう力強いメッセージをあのドラマは伝えていた。
さて、「をんな絵」展は明日から、弊社画廊でも続く。一週間やるので、まだの方も、もう見た方も、来てくださいね。
- PREV
- アートフェア東京はじまりました
- NEXT
- 4月の銀座秋華洞 集中買取鑑定会ご報告