女の貌(おんなのかお)展残り期間わずか
銀座「画廊の夜会」イベントの一部として幕開けした「女の貌」展、残すところ5日となった。
画廊の夜会、とは銀座の画廊有志「銀座ギャラリーズ」が主催する、一年に一回、夜中まで画廊が開いてますよ、
楽しいイベントも満載ですよ、というイベントなのだが、年々参観者の方が増えていて、
木曜、金曜ははやく来た梅雨空にもかかわらず、おそるべき人数の方が秋華洞にも訪れた。
嬉しい悲鳴である。
ワインやおつまみも(実はあまり予定していなかったが)用意して、かなりの活況であった。
普通こういうイベント事では人が多すぎて商いはそこそこなのだが、今回は例外?のようで、殆どの作品をご売約いただいた。
こういういわゆるグループ展(あんまり安易にこの言葉は使いたくないけどね、なんか日常すぎる匂いの言葉なので)のいいところの一つが、
ひとつのテーマで競い合うことだと思うのだけど、やはり池永さんの実力が際立つ中で、みなとても頑張ってくれたのがとてもいいと思う。
この展覧会は、来週の火曜日までで、作家も何人か午後在廊してくれている日もある。
この企画のシバリはひとつ。「日本画」で「女」を描くこと。この展示には、実は木谷千種や歌麿、斎藤真一(この人は油絵)、甲斐庄、島成園など、
過去の作家の作品も気分で展示替えしている。ので、ひとくちに日本画による美人、といっても実に様々なマチエール、技法、テーマがある、
ということが実感していただけるのではないかと思う。いわゆる美人画家、ではなくても、安田靫彦や小林古径も独自の美意識で、線描による
女性像を様々残している。
「日本画」という定義についても諸説あるけれども、普通は「日本絵の具」(岩絵の具など)を膠で溶いた画材を使う、くらいの意味と言ってもよいだろうし、
この企画でもなんとなくはそうでもあるだろうが、おしなべて共通した要素として言えることは、やはり作品に「気品」がある、ではなかろうかと思う。
「にほん」という言葉からまるで不文律のように「気品」が醸しだされるのが面白いところではないかと思う。
現代にやる展覧会ということから「近代的自我」を抱えるところの「女性」として、副題として「エロスも自我も欲望も」なんていうタイトルを付けて、「エロ」にやや
誘導した面はあるけれども、ありのままの「女性」には表に出るにしろ、しめやかに内面の潜むにしろ「エロス」の側面が生身の存在を際だたせるわけで、
自ずから作品群から描かれた女性像の「重み」のようなものが感じられたらな、と思っている。
エロスx気品=日本画x女性 というのが方程式?
雑文を書いたけれども、残り期間の間にチラリと覗いて下さいませ。
「女の貌」展
■ 展覧会期間:6月5日(木)?17日(火)
(平日10:00?18:00、日・祝11:00?18:00)
■ 会場:秋華洞内「ぎゃらりい秋華洞」