週刊文春の方向感覚
最近、週刊誌はよく読む。販売数目当てのいい加減な記事も多いだろうが、新聞には載らない記者クラブ経由でない情報や、足で歩いた情報、気鋭のコラムニストなどの記事は、ネットでも、読めないものもある。
週刊文春は、そのテイストや方向感覚が好みである。オジサン雑誌だが、オジサン体験をしてみようと、20代から読んでいた。いくぶん保守よりの感覚がほどよい。大好きな阿川佐和子の連載と、不肖宮嶋重樹カメラマンのコラムが爽やかである。
しかし、ホリエモンには常に冷ややかである。先日の収監のスナップも、モノポリーゲームの「刑務所行き」のコマをもじって、今まで経済犯罪で摘発されたにもかかわらず「収監」されていない連中を描いたTシャツとモヒカン狩りの出で立ちを『幼稚』と切り捨てていた。しかし、あきらかに規模の小さい、資本勘定を損益勘定に変えたということを「収監」まで追い詰めた日本社会が犯したこの若者への「差別」を、ユーモアを交えてパンク調?に「告発」した彼のセンスを、幼稚と切り捨てるのは、文春という「オジサン」社会の、まさに幼稚さ、あるいは限界を告白しているといえるだろう。
同じ号には孫正義の自然エネルギーへの傾倒について、「儲け第一主義がホンネ」だと、週刊新潮と何故か全く時を同じくして批判をしていた。しかし、記事をよく読むと、経済合理性もきちんと配慮している、経営者として当然の思考方法について、描写しているだけで、およそ皮肉にさえなっていない内容であった。何故「批判」というスタイルを採るのか、意味がわからなかった。同じ内容で、「褒める」見出しもつけられる記事であった。
この国では、いやたぶん人間社会は、目立つと、いわれなき批判がおこるものなのだろう。理不尽であっても、あるていど、仕方がない。しかし、いつも好きで読んでいる雑誌などに批判されると、複雑な心境にもなるだろう。ウチの業界は週刊誌的に話題になりにくい。叩くほどの目立ち方を良くも悪くもしていない、といえるのかもしれない。だから、別段、少々目立とうが、あまり関係ないが。
この文春の態度は、ネット上の「世論」の空気とも大分違う。ネットの方が、平均年齢がやや若い事も影響しているだろう。
ホリエモンの「収監」は、まだ読んでいないが、パラパラ見た中では、「ネット選挙の推進」などが見られた。当然の主張で、いまだにネットで意見を出すのが御法度、などという恐ろしくアナクロな選挙制度がとられているのが、この日本の後進ぶりの実態で、困ったモノである。
一連の国会でのどうしようもない政治の漂流振りも、一義的には「老化」のヒトコトであろう。政権交代に時間がかかりすぎて、トロイカの三人が、揃って頑固で実務が無理なことが露呈してしまった。四十代以上は選挙に出られない、というクライのアクションが必要ではないかな。ゴルフの練習でも、右ばかり球が行くときは、無理にでもヒダリにしか出ない練習をする。極端な施策が必要である。ボクがいつも極論を言うのは(しばしば友だちに誤解される)、そういう意図である。
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