銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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カマトト対カマトト、カマトト風評被害、蒼国来(そうこくらい)の無実

   

カマトト対カマトト、カマトト風評被害、そうこくらいの無実
野田秀樹は好きである。好き以上にたぶん尊敬しているような気がする。
昔、「夢の遊民社」という劇団を主宰していて、今はノダマップという演劇企画を続けている。かつて、エジンバラ公演、をやったとき、わざわざ家族と行ったほどである。
AERAという雑誌がある。ご存じ、朝日新聞の看板週刊誌。ヌードグラビアがない。真面目、を絵に描いたような雑誌である。一応、女性をターゲットにしているらしい。
AERAもたぶん好きである。尊敬、も少しぐらいはしているかもしれない。
で、野田秀樹がAERAにくだらないエッセイを毎号書いていた。くだらない、というのはけなしているわけではない。褒めている訳でもないが、たぶんののくだらなさを楽しんで欲しい、という野田秀樹の意志で続いたエッセイである。
で、こないだAERAが「放射能が来る」というタイトルの表紙を造り、野田秀樹がエッセイを降板した。こういう非常時にこそ、いたずらに不安をあおるのでなく、過不足のない情報を与えるべきマスコミが売上げ期待のあまり、とんでもない宣伝をしたのが、AERAに対する失望を招いた、ということである。
その判断も悪くはない。ただ、少し違和感が残った。
カマトト、じゃあないの?
AERAがそんな「売らんかな」の雑誌でなく、落ち着いた論評をするいい雑誌だから、自分は箸休めの文章を書いていた、が、こんな詰まらない見識の雑誌とは思わなかった、自分が見る目がなかった、という趣旨のエッセイを書いて降板した。
だが、AERAも商業誌のひとつである。毎号、毎号、時事の下らんダジャレをキャッチコピーに売っている。同じ真面目路線の文春のように女優のグラビアやスキャンダリズムで部数を稼いでいる訳ではないだけで、まあ売らんかな、という記事や編集方針も多々あるであろう。
朝日新聞は、巨大なカマトト会社である。というと、在籍している友人達と週末飲むので気まずいかもしれないが、ま、みんな大人なので、ボクのこんな文章で目くじら立てることはないであろう。
正義公正を標榜しているが、売らなきゃあ食べていけない。多少のスキャンダリズムも必要であろう。しかし、彼らにはプライドがある。自分たちの「正義」に正面切って刃向かわれると、ちょっと、キレる体質を持っている。
でも、そんなことも、世の中の人は知っていて、「暖かく」見守っている。野田秀樹がやめた理由は共感できる部分もあるが、やめる、というのは「自分だけちゃんとしている」というメッセージにもとれて、幾分、こそばゆい。
カマトトとはこういうことである。え、私が産まれたのってお父さんとお母さんがXXしてXXして産まれてきたの?きゃあ溥傑、じゃない不潔、もうお母さんとお話ししない、お父さんは顔も見たくない。私も産まれてこなきゃあ良かった。
人間というのは危ういバランスで出来ている。セックスも、肉欲という身もフタもない欲望と、愛情という「よき」ものとの本音と建て前、が一体となり、どこからどこまでが罪、とかいい、とか言えない。商業活動も同様であり、社会的正義と経済的な利欲が一体となる。バランスを崩しがちだが、生きるというのはそういうバランスの上に立っている。
野田秀樹の今回の選択は「巨大カマトト」対「個性派カマトト」の戦い、みたいに見えて、すこーし違和感が残った。で、AERAは正式に野田秀樹の「質問」に応えていないように見える(どこかにあったら済みません)。カマトトはあくまでもカマトトで行くのであろう。
で、カマトトがボクは嫌いかといえばそんなことはない。朝日新聞と日経しかとっていない。カマトトだって必要なのである。小さな子供に余計なことを教える必要はない。ただ、やはり「自覚」と「バランス」を持ってもらわないと、どうやって子供が出来るか知っている「大人」としては気持ちが悪い。
ところで、大相撲の「八百長疑惑」という一連の「カマトト騒動」の風評被害の犠牲者が、昨日裁判闘争を宣言した荒汐部屋の蒼国来であろう。彼の部屋に練習を見学に行ったことがある。中国から来て、体一つで食べていこう、というハングリー精神で本当に真面目にやってきて、関取になった若者である。親方も奥様も素晴らしい真剣な生き方をしている人だと思う。彼が裁判で戦う、という決意をしたのは、「シロ」である、という事だ。相撲取りは、おそろしく苛烈な稽古を経て、強くなり、上位にいくのである。この「カマトト」ご時世で、八百長をやっていた力士が引退を余儀なくされるのは仕方がないが、カマトト風評被害で、やっていない力士まで引退されては、彼らの数年来の文字通り血のにじむような努力はどうなるのか。あまりに荒っぽい引退勧告である。
「正義」はよいのである。しかし「正義」を振りかざす己の愚かさを知らない者は、まわりを不幸にする。カマトトはほどほどがよい。カマトトの元祖、松田聖子くらいのほどほどさカゲンを、関係者は学んで欲しい。

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