日本人の心の世界。忘れ物を、届けに来ました。
先日、とある方の山荘に泊まる機会がありました。高原の背の高いアカマツ林を抜けたところに立つその館の窓からは、間近に美しい山々がそびえるのが見え、あたりには果樹や花を育てる畑が広がります。広い館内には描写に定評のある画家の花を描いたリトグラフのシリーズがさりげなく飾られ、何か心からほっとする心持ちに包まれました。
家は、ひとの「心の世界」の表現だと思います。その山荘で、私はその方の「心の世界」に包まれて、ひどく幸せな、暖かい気持ちになりました。
私は「高級旅館」とされている場所に泊るときは、悪い癖かも知れませんが、まず、かかっている絵やおいてある壷などにやはり目がいきます。残念ながら、本当によい絵が掛かっていることは少なく、「有名」画家の複製画がなかば日に焼けて黄色っぽくなっている、なんて事が多いです。あまつさえ贋物ばかりかけていることさえあります。ちょっと鼻白むオモイになります。それは、安っぽいから、という事ではありません。他の調度品や内装は立派、だったりする訳です。だからなおさら、その旅館の当主が、美術や文化、もっといえば「心」に興味がない、ということが何か「伝わって」来たりするのです。あるいは、館内の「美術コーナー」にのみ、ガラス越しに肉筆の絵がかざってあったりするのもよくあるパターンです。美術に対してオッカナビックリで、何か仕方なく用意しているようにも見えます。
「美術」は自分のお金持ちぶりや権勢を自慢するための物ではなく、心の世界の表現、自分じしんや、お客様との対話のためのものであって欲しいと思います。お客様に対しては「私はこういう心で生きていますよ、どうかよろしければ私と心の世界で話しませんか」と心からの交流を求めるものでもあるでしょう。
欧米人はビジネス会話の枕に美術・芸術の話をよくするが、日本人は自国の文化に無頓着で恥をかく、とはよく聞く話ですが、「美術」を話題にするビジネスマンは、ごく自然に、相手の「心の世界」をのぞいて信頼できる相手か見抜くチャンスを作っているのでしょう。
日本の美術家、文化人の作品は、日本人の心を静かに象徴しています。安田靫彦は清潔、小林古径は静謐、菱田春草は純粋、横山大観は気迫、速水御舟は挑戦、村上華岳は昇華・・・。
敗戦から経済発展を遂げる中で、日本人は、自分たちの文化を、少しずつ見失ってきたかも知れませんが、ひとつひとつ見直して、その精神世界をあらためて深めていけたらと思います。『魔女の宅急便』では、ありませんが、私たちは言いたい。「忘れ物を、届けに来ました」。
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