ゆうべのこと。
ゆうべは、大学時代のお友達と飲む。
新聞関係の人は本当に危機感を持っている事がわかった。
私たち「一般人」としても、「プロの書き手」がいなくなってしまうことは危惧する。
しかし、映画も、ラジオも、「なくなる」という危機が叫ばれながら、社会の中でポジションを得てきた。新聞も、雑誌も、本もおそらくそうなるであろう。
残念ながら、本当の「プロ」としての書きて、で、なくて、かろうじてサラリーマンとして生き延びている記者や、編集者は、淘汰される時代が来るかも知れない。それでも、プロとしての自覚と行動を伴っている人に、お金がちゃんと落ちるやり方を、今後模索していくべきだろう。
僕らは、カタログの文章など、一生懸命書いているが、それ自体はほぼ「タダ」である。このブログももちもちろん。そのかわり、作品が一定以上売れれば、元が取れる、かもしれない。実は、文章を書く力というものは、出版・マスコミだけに求められる力ではなくて、ほぼすべての業種に必要な基礎力のひとつである。「新聞」や「記者」に象徴されるわかりやるい立場以外に生きる場所は当然あるであろう。ただし、会社の看板だけに頼って生きている人間は、食えなくなってしまう。幕藩体制が滅びた後の武士のようなものである。だけど、本質を掴んでいる人間は、生き残る。
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