銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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古筆学の巨星墜ちてiPadが世に出る、日本人はどこへ

   

カタログ最新号の前言葉として載せる予定の原稿を転載しておきます。これに英訳を付ける予定です。

 さる5月21日、古筆学の権威、小松茂美先生が逝去されました。
 小松先生は「古筆学」としてあらゆる過去の日本語ドキュメントを読み解く知恵を体系化しました。いわゆる「筆文字」を読める人、は、おそらく戦前には少なくなかったでしょうし、それゆえに「古筆」を読む事が、独立した「学問」として意識されることは少なかったかもしれません。ですが古文書を読める「普通の」日本人が極めて少なくなってしまった今、小松先生の仕事の意義は重要です。そして小松先生が亡くなられたことでその知識を引き継ぐ世代の役割の大きさが、さらに鮮明になったといえると思います。

 さて、では何故「古筆学」が重要といえるか。

 それは私たち日本人が、過去からの歴史を引き継いだ文化を持っている、という事が際立って幸運な民族の特長となっており、その鍵が「古筆学」となるからです。

 日本では権力が交代しても、中国のように、以前の文化を徹底して破壊し尽くす、という事はなく、おおむね過去の文化を引き継いできました。美術館や博物館(と、このカタログ)で各時代の文物を日常見られるのはそのおかげです。その継承の「キー」となるのは「漢字」と「仮名」で構成される日本語文字である事は論を待たないでしょう。はやくから日本語の表音文字である書き言葉を持ち得たことで、平安時代の数多くの文書を、今なお読むことができる、1000年以上に渡る連続した文化を日本人は持つことが出来ました。
 しかし、一方で、印刷活版文字の隆盛、1900年に「ひらがな」が48文字に制限されたこと、さらにはPC文化がダメ押しになり、過去の日本語ドキュメントを読み解くのは、一般人にとって容易なことではなくなってしまいました。
 「記憶」を持たない「個人」が、映画『ブレードランナー』の人造人間「レプリカント」同様、さびしくて寄る辺ない存在であるのと同じように、「歴史」を持たない「民族」は、明日を思い描く事もできません。民族の記憶をたどる鍵を無くしてしまうことを、私達は避けなければいけないでしょう。
 過去の文書を読み解く「古筆学」の重要性と、その「灯」を護る事の大切さはそこに集約されるのですが、その事に気がついている人は案外少ないかもしれません。
 ところで、同じく5月の末、アップルの「iPad」が発売されました。これをキッカケに、ネットを通じて配布される電子本が、いわゆる「本」となり、紙の「本」はすべてアンティークとみなされる時代がすぐそこに来ているのかもしれません。「紙」文化は郷愁と憧れをさそう、過去となり、文字を手で書くことさえ「専門家」の専権事項となる時代も来るのでしょうか? 文字の歴史の結節点となるだろう、この二十一世紀、私たち文字と文化を引き継ぐ書画愛好家、そして学者の役割というものが、あらためて浮かび上がってくるように思えます。

 - カタログ発行の顛末