銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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日曜美術館『加山又造』

   

先週だったか放送された『加山又造』特集を見た。
もちろん日曜美術館である。NHK日曜朝九時の番組。

思いがけず、良かった。

五木寛之がゲストなのだが、非常に的確。

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「きたいものがきれい、きれいなものがきたない」というのが「芸術の常識」。ところが、加山は「きれいな物」を「きれい」
に描いた。これは加山がある種の断念、諦め、ニヒリズムから来ている。そのニヒリズムから来る装飾性、軽さ、
それが人間の真実を打ってくる。

加山の裸婦、これはいわゆる美人画好き、から好かれる絵ではないと思う。山口小夜子のモード写真のような厚化粧、
体温を失ったようなヌード。湿潤たる色気などまるでない。まるで死体のようである。

しかしそれこそが加山の真骨頂、という見方は、ああそうであった、と言葉の援軍を得た形だ。加山は死の世界からこの世を見ている。
そのことの覚悟。

五木寛之さんってえらいなー。高校の時だか、「青春の門」をモンモンと読んだ。これはもう、勃起精液湿潤たる青春世界である。で、
年を取って「諦めの思想(だったっけ)」、鬱の思想を開示してくれる五木さん。しかし後年の今の発言こそ、
彼が本当は言いたかった事であるようだ。これは勿論、「生きている」私たちが「死んでいった」人たちの屍を踏み越えて生きてきた、
という事を凄絶に経験していることによる。「生きる」ことが「人を傷つけてしまう、殺してしまう」という事実を知ってしまった諦念。
彼がほのめかして決して語らない、朝鮮半島引き上げのときのつらい体験。

奥さんにテレビを見ながら、「あの人知ってる?」と聞いたら。「知ってる。風呂に何日も入らない人。」ニャハハ。どうもそうらしい。
くさかったりするのかしら。

加山と横山操の交流も感動的である。横山は、加山の絵を、加山の個展で最初に見たとき、「何だこんなもの」
と言って加山とにらみ合ったという。その後の交流でも、学生の前で、美術論を巡ってののしりあった。

しかし、彼らは深い友情で結ばれていた。人付き合いの苦手な加山を横山は酒の席に誘い、下戸(飲めない)加山に、
酒の席での上手な過ごし方を指南したという。二人のスナップ写真が素晴らしい。なんと優しい、兄貴分の横山の笑顔と、
こころからなごんでいる加山の顔。美術に真剣なライバルだが、番組で表現していたように「魂の交流」があった。
あんな友情を越えた友情を持てる人生は、なんと素晴らしい事だろう。

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