911の跡地、自由の女神
上の写真に写っているオバサンは何の関係もない。こうして記念写真を撮る人が紛れ込んでしまっただけ。
結局、(ちょっとわかりにくいが)図にあるような「屈しない」象徴のビルが造られることになるあたり、いかにもアメリカ的な感じがする。日本なら、あいまいに「反省」して、公園でも作るところだろう。
あらゆることに「勝ち」続けている、このアメリカでは、やはりこの塔を作る選択が妥当だった気がする。
次は、フェリー線に乗って、自由の女神を見に行く。自由の女神は、富士山のように、どこにいても見える、というものではなく、マンハッタンの南に行かなければみることはできない。そのお顔を拝もうと思えば、やはり舟に乗って行くほかないのである。
見物人はいかにも多かったが、ここには文字通り世界中の人が観光に来ているようだ。フェリー待ちの時にすぐ近くにいた10歳ぐらいとおぼしき娘は恐ろしく可愛かったが、この家族はどうもイスラエルから来たようであった。神のいたずらか気まぐれか、このように美しい顔を作ることが出来るのだ、という位のカワイイ娘であったが、残念ながら写真は撮っていない。
自由の女神の方は、関連施設が、911アタックの影響で全て閉鎖。女神の立つリバティ島をただウロウロ出来るのみでいささか残念である。本当なら、関連の資料館、そして女神の内部にも入ることが出来るそうである。いまは女神に近づくフェリーに乗るだけで、ボディーチェック、荷物チェックとものものしい。
この像は米国独立に軍事的に大きな助っ人を務めたフランスが送った。この像が意味することは「自由」と「公正」だが、フランスとしては、勝手な理屈で暴走しがちな荒々しいアメリカに、手綱をつける願いを込めて、この像を贈ったようだ。アメリカ国民の自由と平等、の中に、建国当初、「奴隷」はカウントに入っていなかったように、アメリカの自由とか平等は常に自分勝手な範囲をつけて実行される。
フランスがアメリカに「自由」「公正」を思い出してもらいたいクサビとしての「女神」は今も生き続けているように思える。
そういえば、こないだのイラク戦争のとき反対したフランスに、第二次世界大戦の時のD-DAYはじめナチスに占領されたフランスを救ったアメリカの恩を忘れたか、というようなハナシがあったが、思えば、アメリカの独立戦争でイギリスに勝ったのはフランスの助力があってこそであった。歴史をさかのぼればお互いにイロイロある、日本と中国も、かつては日本はかなり文化的にお世話になった。もう少し尊敬できるお互いであるといいのだけど、ね、とりあえず共産政権は終わりにならんものだろうか。