銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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NY初日

   

街へ出て感じた。おお、本当に来てしまったのだと。

そもそも今回は迷った末に来たのである。オークションへの出品がきっかけなのだが、別にくる必要性は目先の仕事上はさしてないのである。

むしろ、おんらいんぎゃらりい、もアートオフィスJCのサイトもまだまだやることがあり、遊んでいる暇などないのである。

 

けれども。機会のあるときに、本場のオークションを見ておくべきだ、そしてこんな機会がなければ来ないだろう、世界経済・文化の中心地、NYを見ておくべきじゃないかと。この時期を逃したら、訪れるチャンスはずっと後になり、そのことが案外、長い目で見れば、大きな損失になるかもわからない・・・・エイヤ、と思って旅行会社を訪ねた。

 

だから、さしたる準備も進まないなかで、来てしまった、というのが実態である。


で、最初の感想。


何か、書割の中を歩いているようである、と感じた。現実感がない。とにかくNYという街はひどく人工的なのだ。とにかくビルが高く、人も車もスピードが速く、何もかもが圧倒的に作りこまれていて、現実味がない。

なんて、NYなんて、すでに何億人もの人が訪れているだろうから、僕の感想がどーした、といえばそれまでなんだけど。

 

 美しく、華麗なマイルーム


 

 

 

 

 

 

 

直行便の飛行機だったので、アメリカ大陸を太平洋側からずっと越えていったので、行きしな、ずっとアメリカの大地が見えた。

田んぼがみえた。

ま、田んぼのはずがないので、(少しはある?)たぶん麦か何かの畑なのだろうけど、高い空から見る限り、日本の田園風景と非常に似ていた。そして、その風景は、かなり延々と続いた。建物が集まる「街」は、ごく一部だ。アメリカという人口国家の「現実」=「食料」を、このどこまでも続く「田んぼ」がささえているのだ、と感じた。

 

で、NY。

 

空港からの道でも思うのだが、やはりマンハッタン、および周辺に、突出して高層ビル群が生えている。ビルの重みで「島」がよく沈まない、と思うほどである。東京もええかげんいせいよ、と思うぐらいビルだらけだが、この「島」は周辺の何にもなさと高層集積ぶりの凄さが飛びぬけている。

 

アメリカ、というとNY、は代表的なイメージなんだけど、どちらかといえば、アメリカ全体の中で、非常に特殊な街なんじゃないだろうか、と思う。「田んぼ」が支える現実、とかけ離れたところで、人間の脳みそだけで出来た「街」が延々と展開している。

 

 エンパイアステートビル、これに登った


「教会」に行った。セント・パトリック大聖堂。とにかくデカイ。厳かな雰囲気である。公開されているのだが、そこここでやんちゃ風の黒人やら、白人のおばあさんやら、さまざまな人が真摯な表情で思い思いの像に何か祈っている。教会の壁側にはさまざまな「聖なんとか」の像がテーマの小部屋がつくってあって、それぞれにお賽銭とろうそくをともすことが出来る。仏教のお線香のシステムと同じである。

 

 

キリスト教は一神教のはずだが、やはり物語を成立させるためにはさまざまなキャラクターが必要であることがわかる。その意味では釈迦以外に仏様にさまざまある仏教の物語世界と共通している。人を長い間、夢中にさせる物語には登場人物が沢山必要で、アンパンマンもののちゃんも似たようなものであろう。

 

とにかく立派な教会なのだけど、こっちの先入観もあるのだろうが、やはり作り物の教会、という気がした。たかだか19世紀にできたものである。立派に出来すぎていて、ヨーロッパの境界にあるような、なにか枯れた悲しみとか、重厚な存在感のようなものがなくて、未熟な感じがするのである。新興宗教の施設と似たところがある。

 

その眺め。大西洋を望む。

NYの街の人工的な感じと、教会の人工的な感じ、そしておそらく人工的な国家であるアメリカが、相似形、ちょっとまえ流行ったフラクタルと申しますか、そうした未熟で人工的なところが、この国の魅力(たとえばgoogleの活気)と欠点(もちろんイラク攻撃)を形作っているように思う。

えー美術と関係ありませーん、どうもーー。

ちなみに時差ぼけぜんぜんありませーん、機内で13時間体内時計もタイムスリップしました。自分でも意外。今は夏時間なので日本と時差が13時間なのです。日本で1:42PMの今、こちらでは0:42AMです。
そして、本当は・・・あの建物があった。。

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