銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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カタログ追込、そしていかなる画廊にしたいかというテーマについて、これから考えてみようと思っていることについて

   

カタログは20日に発送予定なのにもかかわらず、進行がやや遅れているので、チト仕事が詰まっている。

ただ、あせって変なものを出してもいけない。

 

一方で、毎日やるべきことも進める必要がある。

 

今日はあたらしくできたというオークションさんを見に行く。帝国ホテルにてプレビュー、社長さんはとてもお若い方。点数は少ないが目玉商品がいくつかあり。ただカタログの印刷が今ひとつなのが残念であった。




ハナシは変わるが、

昨日見えたお客様が、かなりのコレクター(オークションが多いそうだが)にもかかわらず、画廊は入りにくくて苦手だというお話をしていらしたらしい。実は私のお客様で、そうとうのお金持ちだが、やはり画廊、骨董屋ははいりにくいという。骨董屋といっても、この場合のイメージは京橋辺りの超高級古美術商のことであろう。

 

ようするに、お金をポケットに入れていないと、入る資格がない、と、実際に持っている人でも感じさせる、のが画廊だと。

 

はっきり言って、画廊側も半ば以上そう思っているのがフツーなのかもしれず、したがってその判断は妥当だともいえるのだが、なんだか詰まらない気もする。

 

つまり、それでは美術鑑賞→購入へといたる層の拡大が望めないからだ。今は買う力がなくても、いつか買いたい、という人から、買いたいという欲望はなくても、見るのが楽しい、という層をはじめから切っている、という意味で詰まらない。

 

これは画廊の理屈。

 

お客様の側に立ったとき、やはり敷居の高いところは嫌である。だいたい、お金持ちかどうか、ということで値踏みされるところに、たとえお金を持っていても入りたくない。お金のことは兎も角、見る目がないとバカにされそうなのも嫌である。兎にも角にも不快な思いをしたくない。

 

それとですね、詰まらない絵をかけていて、その作者がデーンと座っているような個展も恐ろしい。詰まらない絵の感想を求められたりすると、答えに窮する。

 

これと同じ思いを多数したのが、知り合いの演劇や映画を見に行ったときである。面白ければいいけれど、たいていの自主映画や演劇はつまらない。95%詰まらない。詰まらないときはソソクサと立ち去りたいのだが、出口で出くわしたりする。私の義理の弟は演劇人なのだけど、詰まらないと思ったとき、ついボロカスに言ってしまったが、後味はよくない。だけどおべんちゃらを言っても落ち着かない。

 

話がそれたかな。

 

画廊にも、いろいろ個性があって、一見入りにくいけど、案外アットホームな画廊(思文閣?)、見た目も中身もアットホームな画廊(うちや花田さん)、ガーンと扉を閉ざして、中身もツーンとしている画廊(多分いろいろある)、一見入りやすいが、店員がダラーと雑談していてやる気あんのか、という画廊、そもそも一般のお客さんが買うということを想定していない、雑然とした画廊(結構おおい。ていうか油断するとすぐそうなる)、そのほか私の知らないタイプの画廊、古美術商があるでありましょう。

 

商売として有利かどうかということよりも、多分オーナーなり、経営者の個性が現れるのが店頭のように思う。ようするにその仕事を通して何をしたいのか。

 

ウチの場合、まだビルの上の方で、ふらりと画廊めぐりの人がドンドコ来るような立地じゃあないけど、裾野を広げる美術商でありたいな、とは思っている。一階に晴れて店舗が作れたら理想を現実化したいと思っている。

 

今までは、どうだろう、デパートの役割がやはり大きかったと思う。いまでも大きいだろう。たくさんの絵が、気兼ねなく見られるという点において。展覧会の企画力も、集客力も、すごい。

 

一方で、オークションも最近はがんばっている。自分で値段を決められる、というのが醍醐味だろう。いろいろと不便(だって決まった時間にせらなきゃなんないし)な点も多いので、オークションオンリーのコレクターというのも無理がある。

 

画商とデパート、オークションはつながりが深いので、どれがよくてどれが駄目ということはないけど、画廊の強さは、コミュニケーションの強さであるべきだと思っている。個人商店のよさ。個人的な、信頼関係。

 

ともかくそのお店とかかわりを持っていると、楽しい。安いものも、高いものも、楽しく買える、または売れる、勉強にもなるし、なにか人生の深みの片鱗も見れる(大げさかもしれないけど)。あるいは単純に自分の話を聞いてもらえるとか。まあ、単純に暇つぶしに来る人が多すぎると僕らもつぶれてしまいますけど。

 

ともかく、ジンセーというもの、そして商売というものへのイメージを具現したものが店舗、あるいはホームページもそうだろう。

 

私はただただ、クール!みたいのは嫌いである。クール!だけど「やわはだに熱き血潮」が流れている、ようなのがよい。

 

このテーマは今後も書くでありましょう。

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