美術商はどこから来たか
2016/07/08
今新聞の整理をしていて気が付いたのですが、12月5日付けの日経新聞の最終面「文化」の欄に、横井春風洞さんの興味深い投稿が載っていました。
題して「美術商はどこから来たか」
私も時々思うのですが、いわゆる美術商はいつから始まったのだろう、と思います。
今でこそ、有名老舗と呼ばれる美術商が東京、京都、大阪、金沢などの都市に点在して確固たる地位を占めていますが、しかしいずれもたかだか数十年の歴史。せいぜい3代くらいでしょうか。4代続く、という美術商もあまり聞きません。明治期から続いている美術商は殆どないのではないでしょうか。
明治後期・大正期などに、日本画に関しては表具屋さんが、美術商(書画屋)を兼ねていたようですが、その経緯に関する資料などもあまり見たことがありませんでした。
とはいえ、江戸期にいた応挙・文晁などの著名作家の作品は流通していたわけですし、もちろん茶道具なども専門商がいたはずです。また、大衆向けの版画商店も当然多数あったでしょう。
さらに明治期には、日本製「洋画」の歴史が始まっています。
「美術商」は誰がどの様に担ってきたのでありましょうか。
で、そのあたりを横井さんも疑問に思っていたそうで、「東京美術倶楽部」の起源を調べているそうです。
東京美術倶楽部、というもの自体の説明が必要かと思いますが、これは有力美術商の寄り集まった協会であり法人でありまして、美術品鑑定、美術の業者市場などの機能を持っているところであります。近代の日本美術の売買市場の中枢といっても良いところで、このほか、大阪、京都、金沢に同様の会社(団体)があります。(まぎらわしい団体もありますのでご注意)
さて、投稿記事によると、美術倶楽部の元祖は「龍池会」という明治12年に、官民で結成された団体の下部組織だったらしいのであります。
歴史を知る面白みは、人間の作る社会の構造というものを、やや仮想的に俯瞰して、その本質を観察してみることだと思うのですが、「美術商」というものが担う本質のようなものを、こういう試みの中で取り出せると面白いな、と思います。
ちなみに横井さんは著名な画廊「横井春風洞」のご主人で、非常に素晴らしい現存作家さんの作品を多数扱っていらっしゃいます。とってもダンディな素敵な方であります。
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