日展100年の続き
日展100年展にはずいぶんコメントをいただいたので、ちょっと続きを。
小室翠雲が影も形もないことをちょっとふれましたが、そういう作家はたくさんいる、とコメントをいただきました。採用されていない作家を言えばキリがない、とはその通りでしょうね。私が仮に選考しても、結局誰かを採用し、誰かを落とす、というテーマが出てくると思います。悩ましかったり、楽しかったりすることでしょう。
ただ、まあ、現在の興味という点で作品を選ぶのか、当時の勢力を反映されたものを選ぶのか、という点で、もう少しナマナマしい事も少しふれて、当時の勢力を反映したことも何か表現した方が、へえなるほど感はあるんじゃないでしょうか。
また、政治的な論争もあったようですが、結局のトコロ、日本美術がいったい何をテーマにしてきたのか、という事も興味ぶかいところです。
関係ないですけど、五浦の岡倉天心記念館でも、天心のコマッタチャンぶりは全然描いていないのは詰まらないですね。先日ある方にお手紙をいただきまて、その中に、移り気で、節操のない?天心の姿を同時代人が批判的に見ていることを紹介しているエッセイをいただきました。
団体にしろ、個人にしろ、欠点も含めた全体像がわかった方が、ますます興味がわく、ということもあるのじゃないかな、と思います。図録でがんばる手もありますね。