中村正義と連想夢想
私どもでは中村正義を今4点ほど持っている。(今日はである調で書きます)
次のカタログ(もう印刷できました)でも3点掲載する。
中村正義は中村岳陵の弟子であり「日展」系の「日本画」家であるが、むしろ日本画の枠を取り払い、「真の日本画」を目指して、自分の世界を作った人である。
膠のかわりにボンドを使い、岩絵の具のかわりに蛍光色を使う。
今までウチで扱ってきた、須田剋太、斉藤真一と同様、全く自分だけの世界を作った人だが、須田が「天然」気味、斉藤が「情緒」的であるのに比して、中村は非常に知的、そして自意識的、政治的(闘争的という意味で)な存在のように思える。
しかし「知的」でありながら、どの絵にも彼の「生理的リズム」が息づいていて、そこが彼の作品の魅力と思える。
「自分の生き方」を求める人にとっての「応援歌」に彼の作品はなりうるだろう。
さて彼は、古画や伝統的な画題を自分の世界に取り込み、翻訳して、あたらしい世界を開こうとした。その世界はむしろグロテスクな容貌を帯びた。
ある人によると、それは現代アートの世界で会田誠や、山口晃がやろうとしていることと同じだそうである。
確かに彼らは、伝統的な絵画技法を意識しながら、それを全く変換して、ユーモラスであったり、幾分自虐的であったり、グロテスクな造形を作り出す(ふたりは違いますけど)。
僕が好きで嫌いなのは会田誠である。彼の世界にあるのは「無」ニヒリズムであるが、ほとんど求道的的なニヒリズムである。
エロとグロ、虚無をしかし非常に丁寧に追い求めていて、エログロの道のお坊さんみたいな人である。
背広族が嫌いみたいで、たしか背広族皆殺し計画みたいな作品があったような気がする。
ちなみに山下先生も「背広族」なんて、というニュアンスがあったように思う。
そして彼のエログロは確かに多くの「背広族」は「おばさま」たちは受け入れないと思う。ある種の断絶を演出している。
多分「背広族」に対する軽侮、反発は「体制順応者」に対する軽蔑と嫉妬だと思う。
だけど「背広族」に対する反発、みたいのはあまりに皮相的な気がする。
僕はいろんな職業をやったので、「労働者」も「背広族」も経験し、今のところ「背広族」である。
汚いカッコだからピュアで、スーツだからロボット、とか世慣れている、とかいうことはあまり関係ない。
自分の生き方に向きあい、世間に向きあい、生き残ろうとする、ことはある種の戦いでもある。人知れず戦う様々な姿をした人たち、がいるのである。
何か話が拡散した。
中村が抱えていた問題意識は、多分現在も継続中のモンダイである。私も、日展、院展、現代アートとかいう垣根を越えた、いわば「新」「新興院展」「どうどう男子はシンでも良い」みたいな新しい動き、あるいは個人が生まれてくることを期待している。
自民党が福田、麻生という幾分貧弱な候補しかいないのと同様、この世界も「剛胆」な人不足のように確かに思える。しかし人は出てくるべき時には出てくるであろう。別に出てこなくたって、世間は困らない。ぼくら画商は困る。しかし「生きる」ことはいつだって困難なことである。その断層が大きくなったとき、人は出てくるんじゃないかな。
会田誠が嫌いで、好きと言った。「嫌い」なのはその「無」への傾倒ぶりが怖いのと、ぐにゃぐにゃしてる感じがあまりに今風でやなのである。「好き」なのはその絵が美しいのとエッチなのと、その「無」への傾倒ぶりの真摯さと、正直さと、ユーモアと、同世代の感覚への共感である。
ところで、中村正義を最初に知ったのはギャラリー杉江さんのお店であった。プリンス然として格好いい杉江さんの店で知った、本格的芸術。もちろんあの羽黒洞木村東介と懇意の作家であり、今度10月に杉江さんの店と不忍画廊さんで正義の個展をやる。関係ないけどウチの父の店に東介さんと正義の二人で絵を買いに来たとか聞いたような気がします。来年あたりにはどこかの美術館で大々的に回顧展も計画中と聞く。この「熱い」美術家の軌跡を見直す気運が広まってきたと言うべきか。
いずれにしても、私と秋華洞は、より「古画」と江戸明治大正昭和の絵画世界をより研究し、紹介して行かなくてはいけない。そこが勤めであろう。
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