銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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中央区市民講座「浮世絵の世界への招待」やらせていただきました。

      2016/07/08

去る6月26日、中央区民カレッジという一般のかたを相手にした講座で、お話させていただきました。(レポートが古くてすみません。)

こうして画廊の外で、みなさんの前で「美術」の講師の役割をするのは、今回で二度目。前回は、「ミラー展」での「書と生活 − アートとしての書」でした。

「MIRROR展 講座シリーズ」
http://the-mirror-ginza.com/event/gs_05/
銀座シリーズ:秋華洞 田中千秋 × 山本豊津
(なんと、HPまだ残っていました。。)

「秋華洞社長ブログ:THE MIRROR展のミニ講座をやらせてもらいました」
https://www.aojc.co.jp/blog/2014/11/the-mirror.html

今回は「浮世絵の世界への招待」。前半はそもそも、浮世絵とはどのようなものなのか、誰が「スター」なのか、そして流通はいったいどうなっているのか、というお話をいたしました。後半は、浮世絵の「価値」はどのような要素とプロセスで決まるのか、実物を多数用意しながらお話させていただきました。

「秋華洞スタッフブログ」
https://www.aojc.co.jp/staff_blog/2015/07/post-379.html

「区」が主宰の講座という事もあり、「お金」の話をするのはタブーかしら、と確認したところ、別に喋っても問題ない様子。なので、思い切りやらせていただきました。

 摺りの違い、紙の端っこのマージンの大事さ、マーケットの歴史、浮世絵師の誰それがなぜ偉いのか、同じ作品でなぜ10倍も100倍も値段が違うのか、など。

自分の講座の出来栄えは、自分ではわからず、いったい皆さん楽しんでいただけたのか、どうなのか、不安でしたが、終わったあとの区の担当者の方の感想を聞いたり、アンケートを見る限り、なんとかなったのかな。一応楽しんでいただいたようです。

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実はぼくはこういう「講座」を<聞く>のはすこぶる苦手。10分もすると、すぐ眠ってしまいます。僕の所属する築地ロータリークラブでは「卓話」というのを毎週超著名な方がやってくれるのですが、すごく面白い時でも、しばしばスヤスヤ。どうしようもない人なのです、わたくし。映画を見ていて寝ることは、まずないけど、一人の人が話すのを聞いていて、起きていられた試しがない。はい、その通り、学校でもしょっちゅう寝てました。眠気を覚ますために、授業中に早弁もしましたね。スリル満点。よく、チョークの粉を見つけた先生に振りかけられましたけど。まったく寝ずに済んだのは、小学生の時の学校や塾の授業と、大学受験塾の物理数学の授業。先生がすごく、よかったのです。自分も、「自分が受けたら寝ない」内容を目指してしゃべりました。
さて、しょっちゅう寝ておいて、こういう言い草も傲慢ですが、日本人のほとんどは、「授業」を教えるのが下手です。大学なんて、95%の先生を首にした方がいい。少なくともぼくの学生時代の先生たちに関しては、そう思います。なぜ下手か。そして眠いか。それは、先生が生徒に質問しないからです。どんどんどんどん、生徒に聞く。そして、生徒にも質問させる。そして、どんな馬鹿な質問でも、答えでも、すべてホメる。たしたことない答え・質問には、少しだけからかうけど、発言した勇気をおおいに褒めて、するどい発言、話題の間口が広がる発言には、ともかく敬意を十分に払う。そして、自分よりすごいと思う意見には、素直に感心する。そうすれば、生徒は、眠るどころか、眼がランランと輝きます。ぼくが10代から今に至るまで、尊敬できる先生は、みなそうしていたし、近頃見かけるハーバード白熱教室的な番組の先生たちもそうです。さらに欧米人がすごいのは、身振り手振り。ともかく伝えよう、と必死です。もしかしたら優秀な映画監督も、場を緊張してクリエイティブにするには、同じコツを適用しているかもしれない。相米慎二とか。スピルバーグとか。よくしらないけど。

で、今回の講座が皆さん眼をランランと輝かせて聞いていたかというと、実はそうではありませんでした。たしか、数名ウツラウツラ。。。ああ。しまった。あそこに僕がいる。ぼくの出現を許してしまった。眠たくてすみません、と焦りを感じましたが、導入部分、つい平板になってしまうんですね。日本人はインタラクティブな授業に慣れていないので、質問すると、たいてい「シーン」としています。で、「シーン」とするのがおっかないので、講師は生徒と会話をせず、下むいてブツブツしゃべるのですね、で、眠くなる。ぼくも、正直はじめて会う生徒さんに話しかけるのは、苦手です。みんな固いのだもの。最初は。でも、勇気を出して、時々質問してみました。すると、ウツラウツラの方も、ハッと眼を覚ました様子。ホットしました。

生徒としての日本人って、「正しい」答えを言わなければ恥をかくと思っている。どんな発言も、くだらんものはひとつもない、という事を、小学校、中学校でも、伝えてほしいなあ。シンディローパーの曲に「True Colors」というのがありまして、あなたの色を出すのを怖がらないで、あなたの色が人と違うから素敵なのよ!なんて英語で書いてあるのですが、実は最近はやりのレディ・ガガも似たような歌を作っています。しみじみ、アメリカのいいところはこういうところだね、と思います。原爆落とされても。

ぼくは、勉強が大好きです。でも、ひたすら覚えるとか、そういうのは苦手です。面白いのは、「なぜそうなっているのか、分かること」「分かった事実で、未知の現象について、推測を立てることができること」です。

今秋華洞でやっている「銀座、書のくずし字講座」はまさにそういう講座です。ひらがなってなぜひらがななんだろう。どうしてこう読むのだろう。漢字はなぜこんな形なんだろう。角田先生のお話を聞くと、目からうろこです。言葉、ってこんなふうに出来てきたのか。とビックリします。ビックリした上に、今まで読めなかった平安の書や、明治のハガキが読めるようになってくる。
ぼくが高校時代に大好きになった「物理」もそうです。なんでものは転がるの?放ったものは地面になぜ戻ってくるの?磁石はなぜくっつくの?ああそうか、重力というものがあるのか、じゃあ坂が20度でこの速度なら、30度ならこのくらいなら、早さはどう変わるのかな、と予想できる面白さ。
小説や哲学の面白さ、もそこにあるでしょう。人の心はどうしてこうなるのか、社会はどうしてこうなのか、真実はあるのかないのか。知れば知るほど、人生でどう振る舞うべきか、好きなあの子にどのように声をかけるべきか、どんな会社でどんな仕事をしたらいいか、自分の「解」を出すことができます。
どんな学問も、自分の生き方や体を使って覚えたことしか身にならないとは思いますが。でも、そういうワクワク感を演出してくれる先生に出会うと、これは一生ものです。そういう先生ばかりで満ちてればよいのですが、ま、学校教育ですべてを賄うのはたぶん無理なので、先生はありとあらゆる手段で、自分で探すしかない。真実の先生は、小学校にも、大学にも、そこら辺の職場にもいることでしょう。運が良ければ沢山出会えるし、悪ければ、勉強嫌いに、なるでしょうね。幸運を祈ります。

ぼくは、面白くなければ「学び」ではない、と思っていますが、ぼくの思う「学ぶ」面白さを伝えられる活動は、時々、やっていきたいと思います。普段の仕事、美術品販売の仕事自体、そういう要素を色濃く内包しているのですが、まあこうした「教室」の形も、時々はいいかなと。

また、やらせてもらう時には、もっと皆さんが楽しくなるように頑張ります。実は、来年も五回シリーズで画廊の講座を行うのですが、講師や講座内容を決めるという役割があるのです。面白い企画、できるでしょうか。まあ、なんとかなるでしょう。お楽しみに。

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