アート台北戻ってきて思うこと
2023/10/29
台湾に行ったのはもう何度目になるのだろう。アート台北に参加したのは記録を見ればわかることだが、概ね10年ほど前からだと思う。コロナの年にも参加したはずだから、連続参加記録は日本の他の画廊には抜かれていないのではないだろうか。
だから偉いとかそういう話ではもちろんないが、アート台北は私たちにとって重要なフェアであり続けている。私たちにとって初めて参加した国際アートフェアだ、ということもあるが、ここで経験したことが見えない力となって私たちの画廊のエネルギーを支えてくれているような気がする。
正直言えば、台湾の画廊協会や台湾のアートシーンについて、その割にはあまりわかっていない。その点で言えば台湾とは線でのつながりに過ぎず、面でのつながりはこれからである。
そうした反省を踏まえつつも、台湾に言えることは、社会情勢や経済情勢が変化する中でも変化しない台湾の人々のアートへの情熱、愛情である。若い人の動きを見るとわかるのだけれど、台湾の人のアート好きは、何か教養を高めるとか、コレクションを自慢するとか、そういう目的だけではなくて、好きなものは好き、という素朴な感情に根ざしているところがあるように感じられる。
今回のフェアでも、台湾のある若者が2日間、ずっとうちのブースでアーティストと話していたり、置いてある資料を眺めたりして、有体にいえば「入り浸って」いた。うちで扱っている作家たちに興味津々なのである。そればかりでなく、フェアの展示がクローズした後、アーティストたちと遊びに行った「夜市」にも同行してジモティー(地元民)ならではの道中案内までしてくれた。100件以上はあろう画廊さんの中で、ウチのギャラリーに夢中になってくれたことは何かこの地とのご縁を感じさせる出来事である。
今回アート台北の廊下の壁には大々的にこのアートフェア始まって以来の歩みが大きな写真と共に書き連ねてあった。英語と中国語のその膨大な情報の全てを読む時間はなかったが、日本でいえば「昭和」っぽい90年代の展示会風景から次第に「インターナショナル」な理念やしつらいに代わっていく姿が見えて、そこには台湾美術界のみならず台湾経済の発展史が見えるようだった。
この催しを主催する台湾の画廊協会には力のせめぎ合いがあり、リーダーシップを誰が取るかで内容も傾向も変わってきたと聞く。それは表面的に見ると一種のゴシップだが、路線の違いをめぐって論争があることが結果的には発展を促してきたと言えないだろうか。アートフェアは台湾でこの30年乱立傾向にあり、主催者も様ざまだ。しかし生きた祝祭にしていこうというアート台北の関係者の連続的な努力はいずれにせよ台湾で際立った存在としてのアート台北を支えてきており、他のフェアがいくら華々しい活躍を見せようとそれは変わらない。
台湾で起きているこの流れを見ると、日本のことも考えたくなる。
戦乱で引き裂かれた兄弟のように、台湾と日本はどこか根っこで繋がっている国のように思う。実際のところ、台湾の美術は日本の背中を見て育ってきた部分があったが、近頃はむしろ日本を凌いでいる部分がある。
政治的に国家承認されていない制約があり、しかも国民党の言論統制が長きに渡って続いたにもかかわらず、台湾でのアートのこの人気と発展はアート教育あるいは教育そのものが停滞してしまった日本と比べて既に前の方に進んでしまった感がある。統計を見たわけではないが、国民一人当たりのアート購入量は台湾の方が日本より大きいだろうし、生活の文脈に与える影響もありそうだ。
日本は戦後民主主義と言論の自由を伴って羽ばたいてきた筈のアートは台湾にも中国にも遅れをとってしまったと思う。
けれども、これも歴史の一場面である。結局のところ、どこがいいとか悪いとかいうよりも、お互いの優れた面に学ぶほかない。政治的に誰がどんな発言や立場があろうと、アートを愛するすべての人々は、隣国の良いところを学び前に進むほかない。アートにも、住み場所にも、ここが絶対の1番、というところはない。そのことははっきりしている。だが、ほんの近くだとしても、しばし越境して学ぶことが、どんなに大きな意味を持つか、人々は経験しつつあるし、私たちも学び続けている。
台湾有事が囁かれて久しいが、僕は祈りも込めてそれはないだろうと思う。殺し合うよりも生かし合う方が得であることは明らかで、どんな切羽詰まった挑発があろうと、その事実は変わらないからである。文化が本当の絆を作る、そのことを強く信じつつ私たちはこれからもアート台北に参加し、台湾の文化を学び続けるだろう。
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