柿沼宏樹について『ドメスティック・エイリアンズ』開催前夜に
明日からは柿沼宏樹と高木陽の二人展である。
それぞれの特徴をここに述べておきたい。まずは、柿沼から。
柿沼宏樹は、前は泰明画廊さんを中心に活動していたが、社長の川田さんが亡くなり、少し経緯があって私どもで主として引き受けることになった。なんとなく「古書画」「日本画」というイメージを引きずっていた私ども秋華洞が、日本美術の悪しき伝統であるジャンルによる分断アパルトヘイトを避けるきっかけのひとつになったのが、彼の移籍であったかもしれない。ちょっとこじつけかもしれないが。ムサビ出身の油彩画家だ。今は、そのムサビで教えている。
彼の絵の特徴は、群像による小宇宙だ。宇宙人のような生き物が画面を埋め尽くし、ジオラマのような建造物の片隅にゴジラのような巨大生物がそびえ立ち、ビル群の間を人間と謎の生き物が行き交う。画中の各人におそらく生命の危機が及んでいるだろうが、当の本人たちは案外呑気である。
これは観ようによっては我々の社会のカリカチュアといえるかもしれないが、作者本人がどこまで社会を風刺する気分があるのかはよくわからない。本人としては社会の縮図的なことを意識はしているのだろうが、皮肉とは考えていないようだ。むしろ異物とヒトが混乱の中調和する理想をイメージしているのかもしれない。
本人は絵画テクニックはかなり高度なものを持っているが、あくまで穏やかな人物だ。彼の絵画世界は混沌そのものを描いているが、2020年の本年は、もはや現実の混沌の方が暴力的で血生臭く、コントロール不能で、柿沼宏樹の絵の世界はむしろ理想に近く見える。
もはやシャレにならない混沌を抱えた人類社会のなかで、あいも変わらず日々の些事の喜び悲しみを見出す僕たち大衆をそのまま活写していると見ることもできるが、何があっても日常を失わない調和の思想と見ることもできる。彼は多分異物同士の調和した社会をイメージしているのだと思う。
我々の生きているこの社会は、地獄なのだろうか、極楽なのだろうか。この世を箱庭にしたような彼の絵を観ながら、考えてみるのも一興かもしれない。