美人画ルネサンスに至る道
2020/03/03
芸術新潮に池永康晟と美人画の大特集が載りました。
思っていた以上に長い記事で、驚きました。
全ページ数にして、100ページ近く。池永さんのインタビューや対談記事だけで、20ページを超えています。これはなにか望んでできることではなく、芸術新潮さんが自らグッとアクセルを踏んだからこそできる特集でした。
美人画は不遇である。
という問題意識をもった男がこの世にふたり、いました。
ひとりは池永康晟といい、誰も知らない早稲田の6畳の下宿で、誰にも知られず彼独自の日本画で、人物の絵を描いていました。
もうひとりは、私、田中千秋。父親と初めた秋華洞という小さな画廊で、主として近代の日本画を仕入れては、ささやかに展覧会をひらき、美術品の小売なるものは如何なるものか、試行錯誤していました。
池永を知る人は誰もいませんでしたが、彼は人間を描くのが好きでした。とくに、自分と同衾した女や、雑誌で見た女優などを題材に、まだ誰にも知られていない、不思議な方法で、絵を書き、京都でみつけた仲間と、少し、展覧会を企画して展示を試みていました。
田中の祖父も、叔父も、父も、今では日本で一番大きな美術会社となったシブンカク(思文閣)の幹部ではありましたが、実は彼らは死んだ人の作品ばかり扱っており、生きている作家はまったく扱ったことがない。でも、これからの時代は自分で新しい作家を見つけないといかんのではないか、と田中は考えていました。いっときは映画産業に骨を埋めたい、と考えていた田中は、人間臭いものをやりたい、と考えており、父のお客様であった福富太郎さんの美人画コレクションの本『絵を蒐める』を読んで、これが僕のやるべきところだ、と感じていましたので、時々、チャンスが有ればいわゆる美人画を仕入れていました。
ですが、彼は気がついていました。
現代に、「美人画」は存在しない。
池永も気がついていました。
現代に、「美人画」は存在しない。
あるいは、存在してはいけない。
なんでだろう。
ところで、都下に美人画で館内が埋め尽くされている不思議なホテルがありました。「M黒ホテル」というところです。そこはすでに経営難で外資に買われており、館内に飾りきれない膨大なコレクションは、すべて売りに出され、そのいくつかを入手した田中は、そのホテルにも訪れて思いました。
「この場所で、美人画はいったん、終わってしまったのかもしれない。」
美人画。
和服を着た美しい日本人の群れ。群れを描く日本画家の群れ。
華やかな、はなやかな、はなやかな世界。
絢爛な「赤」色が支配する、現代の龍宮城。
でも、それはまるで浦島太郎が玉手箱を開いた瞬間、どっと老けて老人になってしまったように、「廃墟」の匂いがしました。
「美人画」は消費され、自己模倣を繰り返した後に、いったん歴史的役割を終え、「女子グラビア」と「アニメ」に場所を譲っていたのです。
竹久夢二より、森雪、メーテル。
伊東深水より、綾波レイ。
北野恒富より、壇蜜。
その時代の大衆は、自分の時代の偶像に群がります。今の女子高生が、「野口五郎」ではなく、たぶん「嵐」でさえもう多分古くなっているのと同じように、ひとは、時代が変われば、同じものには集まりません。時代の空気をまとった新しいものを、ひとはみたいのです。
一方で、戦後美術は「深遠」と「格」がその評判と価格を高めていきました。東山魁夷、杉山寧、平山郁夫などの風景画家が、もっとも高い品を備えるものとされて、価格も最高峰でした。「人物」を描く作品は上村松園を最後に高評価となるものはトンと絶えてしまっていました。
海外に目を移せば、戦後美術はコンセプチュアルアートの時代。絵画には、映画も写真もイラストもできない、アートはアートを考えること、アートを破ること自体にもっとも重要な価値が置かれていました。「人物」を描くことは、描くことについての意味や思想をなしには素朴な興味で描く絵など、なんの価値ももはやありませんでした。ダミアン・ハーストの「色見本」シリーズで象徴されるように、絵はいったん分解され、要素に還元される必要がありました。
しかし田中は考えます。
人の興味は人だ。
だから、人は人を描く。
映画は、その歴史が始まってたかだか100年しかないが、人物の出ない映画はひとつもない。アートは人物を忘れて久しいが、人は人を求めている。現代の美術は人というパッケージを忘れただけだ。何をしたらステレオタイプから逃れられるのか、みなわからなくなったのだ。ステレオタイプとは自己模倣。表現は、自己模倣だけに陥ると、価値はなくなる。人の興味をひかないものは、商品にならない。商品にならない美術は、自己満足にしかならない。人を描いた絵が人の興味を惹かないのは、美術における「人」の表現が、行き詰まってしまったのだ。
だが、人は人を見たい。人は人を書きたい。人は人を描きたい。
その原則が、なくなるはずがあろうか。
誰にも知られていない池永は、誰かの表現を知らせたい田中に見つけられ、「人物」を絵画に取り戻す「運動」を始めることになりました。
それから11年。世の中は再び、「人物画」「美人画」を、見てもいいもの、面白がっていいものと感じ始めたようです。池永と、田中の試みは、ひとを少しずつ、動かしたのかもしれません。2020年3月、芸術新潮は「美人画」の大特集を組み、同年4月、阪急うめだ本店は秋華洞と組んで「美人画ルネサンス」展をやります。
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