チン・ペイイ展 後半を迎えて
2018/11/17
陳珮怡(チン・ペイイ)の展覧会も後半を迎えた。
彼女は縁あって再来年から私どもを中心に活動する事になる。言葉がスムーズには通じない日本の我々を信用して自分の作品を委ねてくれた彼女に感謝である。
最近、中国語の勉強を始めた。まだ、きわめてたどたどしく、ごく普通の会話も簡単ではない。でも、勉強をしようと思ったのは、彼女と話す必要を感じたからだ。
彼女は最初、外国語(英語、日本語)を話さなかった。けれども彼女には作品という言葉がある。常に人にまっすぐ向き合う態度にはこちらも居住まいを正して彼女の世界を知りたくなった。勉強をすれば、そこに知りたい言葉がある、というのは幸せなことだ。彼女がさかんに発信するFacebookの言葉もなんとなくわかるようになったし、彼女の画集を作るにあたっても、僕のつたない中国語力でも少しは役に立った。
さて、彼女は猫を細密な描写で描く。それを「膠彩」すなわち日本画と同じ技法で描くのが特徴だ。著名アートブロガー「かるび」さんがそのことを詳しく報じてくれている。(あいあむらいぶ)
http://blog.imalive7799.com/entry/chen-pei-yi-201811
凄まじい画力の猫絵師・陳珮怡の個展に行ってきた!【感想・レビュー】
細密な描写というのは、彼女の世界の「売り」であり「つかみ」だ。そのことに異論はない。
けれども何かの流行りに乗っているとかそういう話ではない。絵画は、絵画の歴史と切り離しては存在できないが、同時にその人にしか出来ない「なにか」がなければ意味がない。
彼女が自分の力を使ってどこまで人に届く表現をするか。そして絵画と表現の歴史の中で自分がどう位置づけをするのか。事物と歴史への敬意をどう表すのか。
その事への静かな格闘が彼女の絵肌に現れている。
ウチは写実的とも言える画家を何人か扱っており、これからも扱うだろう。
しかしいわゆる「写実」そのものに価値があるかと言えば、なんの価値もないと思っている。
指一本で絵の具をまっすぐ引くだけでも、それが表現として生きていればそれでいい。
一年かけた絵も、一時間で描いた絵も、それで価値が変わるわけではない。
「かるび」さんがブログで書いてくれていたように、彼女の精彩な描き方は驚異的で、猫の表情も素晴らしく、本当に素直に惚れ惚れするのは間違いない。
それを入り口にして、その世界と私たちの世界がどこで繋がるのか。それが絵を見る喜びであり、買う喜びではないか。
魅力的な作品は、どこを切っても魅力的だ。彼女、ペイイの世界を僕が分かっているかと言えば、まだ知らない事だらけだ。この人の世界に何が見えてくるのか、私自身も知りたいと思う。
彼女の初の画集は、台湾でなく日本の出版社が出すことになった。もうすぐ、全国の書店に並ぶだろう。ぜひ手にとって、見ていただきたい。
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http://amzn.asia/d/2r2KQhR
シンガポールにて
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