銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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池永さんのラジオ

   

NHKの「ラジオ深夜便」に、ウチで描いてもらっている、池永康晟が出演した。

(この録音は、アプリ「らじる★らじる」で。19日4時台を指定すると聴ける。お試しを。)

 

まさに深夜のラジオらしく、しみじみと過去を振り返る言葉が、心に残る。

25歳から35歳まで、彼の肌色を発見するまで時間がかかった話は、彼を語るときに重要なエピソードだが、よりいっそう実感を持って伝わってきた。

母上の看病のために帰郷していた一年間、色見本を毎日作り続けていた話など、人が何かを成し遂げるための過程に、強い信念が必要だったことが想像される。何者でもない自分への不安もあっただろう。

カメラマンのアシスタント時代、フィルムを整理していたなかで、フレームの中で重要な対象を切り抜いても構図になる、ということを見つけて今に役立っている話も、あの独特の断ち切りの構図が出来上がった背景が伝わる。

彼は絵描きとして遅咲きと言ってもいいが、20代、30代を人格や技術の土台作りを経て初めて自分の仕事と言える仕事ができる人生は決して珍しいものではないのかもしれない、とも思う。

私自身、美術商として働いているのは30代後半から。廻り道も多く、あまり効率的とは言えない道のりであったが、無駄なことはひとつもなかった、とも思う(思いたい、笑)。

若くして何かの分野で頭角をあらわして、ずっとバリバリ働く、そういう人生もいい。

しかし、下積みが長くあって、ゆっくりと花開く人生もあってもいいではないか。

今自分が何者かわからない、混迷のなかにいる人がいたら、努力だけは忘れないでいれば、それでいい、どこかで何かにつながる、そう思ってもらいたいな、と思う。

池永が今、世の中に受け入れられて、彼に続く人物画の流れができつつあるのは、急にできた訳ではない。

彼の20年以上の日々の営みが、ひとつの突破口になり、彼の仕事の強靭さにつながっているのだ。

苦しみながらも、ゆっくり織り上げてきた人生を持つ人間の強みを、彼のラジオを聞いて、思った。

今悩んでいるがもしいたとしたら、少しのヒントになればいいな、と思う。

 

 

彼の次の展覧会は、私どもの画廊で、11月にある。台湾の素晴らしい画家との二人展だ。是非、ご覧いただきたい。

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