2017年酉年。あけましておめでとうございます。
2017年が明けました。新年のお慶びを申し上げます。
私は、ほぼ毎日、美術品を売り買いしています。
どこかの党首が首相に「息をするように嘘をつく」などとのたまいましたが、私どもは「息をするようにアートをする」毎日です。
私どもはこれが仕事なので、売って、買って、のなかで、喜びも哀しみもあり、息も切れ切れになりながら、現実と戦う毎日でもあります。
ただただがむしゃらに仕事に追われる日々の中で、時々立ち止まって考えます。
届けるべきアートは何なのか。アーティストにしてもらいたい仕事は、何なのか。
先日発行した50号のカタログで
http://www.syukado.jp/catalog/latest.html
私が書いた「前言葉」では、歴史に残るアートの条件として、次の三つを上げました。
ひとつ、過去の作品のなかの本質をつかんで、はなさないこと。
ふたつ目、全く誰も見たことのない技法あるいは題材を見出すこと。
三つ目、具体的な物や事に心からぶつかり、徹底的に観察、描写する事。
これは、美術の仕事だけでなく、小説・映画・演劇など、すべてのジャンルに通底することでもあります。
でも、残念ながら、過去の美術を見ても、今の美術を見ても、この三要素を100%備えた仕事は、そうあるものではありません。
しかし、名前の残った仕事は、この三要素を、必ず備えていると言ってもいいでしょう。そういう仕事を、買いたいし、アーティストにも促したい。
でも、ところで。
皆さんご存知のように、日本という国ほど、文化が連綿と続いている国はありません。奇跡のように続く天皇制と、極東という地理的条件に恵まれて、1000年続く文化を日本は誇ります。
にもかかわらず、全世界で7兆あるというアートマーケットの中でわずか1000億の規模しかありません。(下の円グラフはTEFAFから引用)
なのに、世界のGDPのシェアから見ると、日本のアートマーケットの少なさは驚くばかりです。
戦争による土地と人の奪い合いを世界が繰り広げた20世紀が終わり、この21世紀は技術と文化で競う時代であり、日本の美術マーケットの強化は実は、国を挙げて取り組むべきテーマです。
このことに政治家は鈍いです。今はマスコミちゃんたちが愚かなので、美術品買ったりする政治家とか金持ちを揶揄する傾向があることもあり、美術に強い政治家はいなくなってしまいました。昔はいたんですよ。ドン!とした人が、何人か。やっぱり買ったことない人は、あんまり、わかっていません。ぼくは文科省大臣になったら、最低1億くらいはなんでもいいから美術品を買うべきだと思うのですけど。いずれにしても、文化が核弾頭の数より重要だということに、国民も政治家も何故か気づかない、不思議な国、ニッポン。
さて、なぜ日本マーケットが弱いのか。
それには2つの理由があると思います。
1.日本古来のマーケットが強すぎること。
2.戦争に負けたこと。
1.について。日本には骨董・書画・近代絵画と切れ目なく発展してきているのですが、日本の規模があまりに丁度良すぎ、ドメスティックな市場が発展したことで、世界史を変えるような進歩や変化が、かえってできなくなってしまいました。なので、江戸期以前の美術や、戦後のコンセプチュアルなアートの評価は世界で位置づけられていますが、日本の美術は、維新後ほぼ、無視されています。ボストンでもNYでも美術館に行ってみてください。一点でも、明治美術や昭和の美術があるでしょうか。日本は幸福なことに、日本人を満足させるものだけ作っていればこの100年位は足りたのですが、その御蔭で気がついてみれば世界で競争力の有るアートを「開発」することができませんでした。いまや、中国にも韓国にも置いて行かれていると言っていいでしょう。
2.については、GHQと戦後政府が特権階級をすべてバラバラにして、文化も資産も破壊して、本来パトロンとして活動するべき階級を根絶やしにしたことが、かなり戦後美術に苦悩を与えたと思います。むろん、戦後現れた新たな富裕層がさまざまな美術を買い支えていたのですが、日本美術の戦うインテリ、岡倉天心のような存在や、画家のパトロンであり古美術愛好家である、益田鈍翁や原三渓のような人物は戦後現れていません。是非孫さんや柳井さんにはそういう存在になって欲しいものです。。
また、歴史の教科書を書き換えて、日本文化への誇りを捨てさせる政策をGHQが取らせたことも影響が大きいでしょう。過度なナショナリズムを避けることが日本の戦後の安定に寄与したと考える人が多いとは思いますが、しかし世界では自国や自国の文化に誇りを持たない人は尊敬されません。「歴史」は、国と国民が生き抜くための、心の武器でもあります。もっと、日本の文化の良さ、面白さを説いた授業をこれからは心がけるべきです。
この状況を挽回するのは容易ではありませんが、何もできないわけではないでしょう。
なにより、この文化をめぐる競争を強化することについて、よいところは、ゼロサムゲームではないことです。すなわち、戦争のように、勝者と敗者がいるわけではない。いわば「喜ばせる」競争なので、誰も困らない。
死者も出ない。公害もない。
日本の映画には、黒澤明、小津安二郎、溝口健二という世界で尊敬される監督を輩出しました。彼らはムービーフィルムというヨーロッパの発明と日本の文化をかけ合わせる中で、世界がうなる共通言語としての映像を作り上げました。アートの世界で、彼らの仕事に匹敵するものを作るのは誰か。その「誰か」を、私どもが世に出したいものです。
年初なので、今年やる!と言いたいところですが、そう直ぐにできることではないと思っています。じっくり、日本の書画・骨董・浮世絵を扱い、心を鍛えながら、前段で挙げた三要素を備えたお品物を、画家を、伝えていきたい。
そうした機会を逃さないよう、今年も研鑽を重ねてまいります。本年もよろしくお願い申し上げます。
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