『トットてれび』について一言
今、土曜日の夜に『トットてれび』というのをやっているのをご存じだろうか。
早くも来週、最終回である。
見てない人は、見たほうがいい。
黒柳徹子と「テレビ」の歴史をめぐる物語で、めっぽう面白い。渥美清を中村獅童、向田邦子をミムラ、森繁を吉田鋼太郎が演じている。
満島はじめ、ほとんどの出演者が「本人」とは似ていないのだけど、「本人」のエッセンスを演じようとする真摯さが伝わってきて、心が緩む。
あ、ミムラの向田は「似てる」。
出てくる人の殆どが故人となってしまったことが、ちょっぴり、センチメンタルになる要素だ。台湾の空に散った向田の死も、描かれる。
先週は、渥美清と黒柳の交流を描いていた。渥美清のあの静謐な佇まいを思い出して、なんともいえぬ懐かしさを感じた。
徹子と渥美は恋仲を噂されるが、渥美は決して手を出そうとなどしない。むしろ私生活を隠すように、そっと生きている。
ところで、僕は、とある機会に、大船の撮影所に「男はつらいよ」の現場に見学にいったことがある。8ミリ映画を撮っていた頃。30年も前だ。休憩中の渥美は、物静かで、優しく、あの「寅さん」とは別人の、高貴で、分をわきまえている、美しい人であった。
何かおおきな本物の「大人」に触れた実感が残った。あの舛添の騒動とは対局の世界だ。
渥美は、病気(ガンだったように思う)を周囲に隠して、すっと消えるように亡くなっていった。黒柳徹子は、病気に気がつかなかった唯一の友人として描かれる。「バカだねえ、お嬢さんは」「見事に騙されたのは、おまえさんだけだよ」。亡くなった渥美が、徹子に語りかける場面で番組が終わる。
満島ひかりは、僕にとって一種のセックスシンボル(園子温の奇々怪々な映画を見よ)であり、純情の象徴でもある。終始、清潔感あるいは無性性を感じさせる、徹子のイメージとはかなり違うのだけれど、満島の「純」な表情が、もうひとりのリアルな「徹子」を見せてくれていて心に突き刺さる。
「あまちゃん」スタッフが作っているというこのドラマ、配役も、セットも、音楽も、滅茶苦茶豪華で、惚れ惚れする出来映えだ。これだからNHKは侮れない。
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