銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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川瀬巴水その孤独と栄光

   

川瀬巴水その孤独と栄光
 浮世絵の世界の清々しさは、その職人ぶりの爽やかさだ。
 巴水は極めて謙虚で、控えめな性格だったらしいが、それはおそらく「職人」意識がもたらす節度から来たものではないか。
 巴水は生誕130年だそうで、あちこちで展覧会が行われている。今はかつて小林忠先生が館長をしていた千葉市美で行われている。千葉市美は、江戸美術や浮世絵芸術に細かく目配りの行き届いた美術館で、志がある。東京からはいささか遠いが、足を運ばれたい。今日は巴水の特集が日曜美術館でも放映されるらしい。
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川瀬巴水の作品一覧
 「職人意識」と対置されるのが「芸術家」あるいは「プライド」の物語である。たとえば、上村松園が「女流」画家そして「美人画」絵描きとして、ともすれば蔑まれてしまうところを、跳ね返して文化勲章を貰うところまで成り上がる物語には、プライドと情念の物語がある。横山大観が五浦の逆境から大逆転して再興院展の最高重鎮になるまでの物語にも気迫とプライドの物語がある。
 だが、「先生」と呼ばれるに至る「プライド」の物語は、ときに美しいが、同時に壊れやすい、傷つきやすい、もろいガラスのような「完成」がある。
 私が北斎や広重に見出すのは、そういう類のプライドとは無縁の、自在さである。てっへっへ、版元がこう言いやがってさあ、面倒だけど注文に応じてやったんでえ、しかしなあ、ちょっとイタズラしといたんだ、べらんめえ、と幾ら金が入っても貧乏長屋で世界を後に驚嘆させる恐るべき傑作をものした北斎には、町中の野人の逞しさを感じる。
 巴水の作品は外人の「おみやげ」に過ぎぬという悪評は今も昔もあったらしい。日本中を旅してそれを絵画にする、という趣向には「芸術」というより、ある種の工芸品というニュアンスを感じるのは無理からぬことであろう。何より、本人自身が「旅みやげ」という有名な代表作をものしている。まさに「みやげ品」である。そうした批判も本人の耳に入っていたかもしれない。
 しかし物事には常に逆説がある。外国への「おみやげ」という枠を与えられた巴水は、それだからこそ、その中での自由さを得られた。「先生」という「プライド」枠を与えられると、何か深遠な意味を持たないと作品にできぬという強迫が生じる。しかし「深遠」を強制される芸術も、これはまたずいぶん窮屈なものである。広重歌麿、北斎が実に軽やかなのは「先生」的世界から逃れているためである。今、大英博物館で大々的に催されている「春画展」など、いわゆる「プライド」とは真逆の、市井で蠢く庶民ダマシイ、ゴキブリ魂の「粋」である。ここに「芸術」と「プライド」の逆転がある。
 

巴水の絵の新しさは、「影」と「憂い」だろう。江戸から明治への浮世絵になかったものを、巴水は初めて発見したのである。浮世絵においてまず「影」の発見は、西洋画の影響を受けた小林清親の登場を待たなければいけなかったが、そこに寂しさと情緒を見出したのは実は巴水であった。「雪」や「雨」に一種の情趣を見出したのはやはり広重だと思うが、巴水の「影」は近代人の持つ「孤独」の影である。江戸時代にはもしかしたら「孤独」がなかったかもしれない、と北斎や広重の絵を見ると思うが、巴水の人影の後ろを犬がぽつんと佇んで見ている、その姿に「小さな孤独」を見て、私たちは何か深く合点がいって、共感を誘うのである。
 さて、本当は一番大事な事を述べたい。その「孤独」を描いた鍵、あるいは彼の「謙虚さ」と「自由」をもたらした鍵は、「版元」との関係である。巴水の場合は当然、渡辺版画店とのつながりであった。実は、巴水は家計困窮のおりなどに、土井版、サヌキ版など、別バージョン、版元とも組んで仕事をしている。しかし、残念ながら、先ほどあげた「影」の効果が十分な作品は少ない。深く心を刺される作品は、渡辺さんとのコラボ、それも比較的仕事の前半に多い。渡辺版画店がもたらした制作体制の自由さ、あるいは批評性、そして職人体制の充実、真剣味は、他の版元には及びもつかないものであったのだろう。
 私たち秋華洞でも、今は若い作家たちと組んだ仕事をしているが、制作の方向性などで息を合わせていいものを生み出していくのは、そう簡単ではない。人間臭い世界でもある。「先生」扱いしたほうがいいこともあるだろうが、しないほうがよいこともあるだろう。北斎が版元と仕事をしたような、巴水が渡辺さんと仕事をしたような関係性はどのようなものであっただろう、私たちの仕事には、なにか応用できないものか、とはいつも考えている。大事なのは、世界の「個人」の心に刺さる作品を生み出せるかどうか、だからだ。画廊のプライドや作家のプライドが満足しても、身銭を投じて作品を贖う人をつくれなければ、仕事とはいえないからだ。北斎にも話を聞いてみたい。でもできない。渡辺さんに話を聞きに行くことは、できるけどね。
 今や巴水は日本の作家ではなく、世界の作家になった。巴水の最も分厚い画集はオランダのホテイ出版が出している。巴水は安いものは数万のものもあるが、高いものは100万出しても買えない。世界がマーケットの商品は強い。それは世界の心に刺さったからである。オランダ人の心も強く揺り動かしたのだ。巴水の『職人』魂は今も生きている。
千葉市美の巴水展

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