ちかごろのこと・死と再生
フェースブックというものがあって、これは投稿がメチャクチャ便利なものである。
写真のアップロードも簡単だし、URLをはりつければ、リンク先の主だった画像を勝手に表示してくれて、まことに何事も楽ちん、しかも反応が「いいね!」ボタンですぐわかる。
完全にそちらに何か書こうと思うときは依存してしまっていた。
ただ、問題があるのは、フェースブックで「友達」になっている人にしか原則見られないという設定になっているので、フェースブックなんか気持ち悪い、面倒くさい、しかしネットは一応使う、という方や、もちろん一般のお客さまに向けての文章にはなっていかないという点である。
ブログも毎週一回以上更新していく必要があると思うので、肝に銘じる。
さて。
この一年は、私にとって、非常に激動であった。よく大殺界とか天中殺とかはたまた厄年というのがあるけれど、この一年余りがそうといわなくてなんであろう、という年であった。むろん地震と原発事故の余韻が世界をおおっているが、それだけでない様々な出来事があった。
何より、親戚・友人が多くこの世を去った。思文閣会長の伯父や飲み友達の重要な先輩が数名。それに父や友達何人かが結構きつい病気にかかったりもした。こちらは父も含めて治療がうまくいってはいるが、心配で胸が締め付けられたりもした。
厄年云々というよりも、40代というのが、死を意識させられる年回りなのであろうが、人との出会いの切実さを感じさせられた。また、みな私にとって大事な相談相手であったので、運命に「独り立ちしてはどうか」と背中を押されてしまった塩梅で、心細さと責任を感じさせられる。
以下、次の日に書く。
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