戦争映画二本を見ました「ぼくたちは見た」「ひろしま」。渋谷にて。必見。
映画『ぼくたちは見た』を、渋谷ユーロスペースと同じビルにあるオーディトリウムというところに子供を連れて見に行く。
思った以上にいい映画だった。何故いいか。
親を目の前で殺された少年や少女の日常や、インタビューを中心として構成されているのだが、彼らの表情があまりに美しいからだ。
ガザ地区へのイスラエルの爆撃は、二〇〇九年すでに報道されているので、画像や動画で殆どの人が見ていると思う。自分もみた。あーひどいな、可哀想にな。
くらいのことは思ったと思う。
しかしこの映画に登場する少年の聡明さ、少女の氷のように冷たい怒りの様が心を打つ。
子供に焦点をあてたのは本当に正解であった。
大人は「どうだ、見てくれ、ひどいだろう!」という調子で主張するので、我々は自社製品をしきりに勧める営業マンよろしく、少し引いてみてしまう。
しかし、この映画に出て来る少年、少女は違う。イスラエル兵の殺戮は、彼らの成長過程で起こったことで、彼らの心の歴史になまなましく突き刺さったままである。比喩でなく、少年の身体にはまだ銃撃の弾が残ったままであり、破壊された家屋には、父、兄、自分の血がこびりついたままである。しかし、彼らは声高に叫ぶわけではない。起きたことを全身で受け止めて、受け止められない事実に、耐えられないのに、耐えながら、静かに語るのみである。
笑顔で戦場を飛び回る彼の表情はまさに愛らしく、屈託がない。その彼が、カメラに向かって、何が起きたのか、いかにして彼の家族が殺されたのかを一生懸命に説明する。なるべく、何事でもないように表情は明るく、殺戮の日を語る少年。しかし、ずっと彼の日常を追っていくと、彼はカメラを通して、世界にこの事実を伝えるための使命感をもって、冷静に感情を抑えて、説明していたことがわかってくる。フトした瞬間に涙を我慢する表情を見せる。
もうひとり、印象に残る少女は、愛想がいい。カメラに向かって、無邪気に微笑む。イスラエル兵の真似をして、顔を迷彩色に塗り、妹たちを怖がらせる。愚かな行為に大人はやめさせる。しかし彼女は決意している。決して、忘れない。なんのために、忘れないかは、言わない。しかし、忘れては、いけない、ということを決意している。忘れようと思ってもきっと忘れられないに違いないが、そのうえに、忘れない、と決意している。
なぜ、そんなことが起こったのか、彼女にできることは何なのか、考えるために、たぶん彼女はそうしていたことがわかってくる。カメラが数ヶ月にわたって、彼らを追っていくうちに見えてくることだ。
彼女は無邪気に笑っているように見えたが、妹は言う。彼女は、あの殺戮いらい、笑ったことがない。心から、笑ったことがなくなってしまったことに、家族は気がついている。
カメラは彼女に聞く。
「最後に笑ったのはいつ?」
彼女は答える。
「・・・わたしは、笑わない。」
彼女は心から笑えない、と同時に、「笑わない」事を選び取っている。彼女の笑顔は、やはり、カメラと観客の我々に向けられた「気遣い」であったのだ。
数ヶ月後の撮影で、彼女は何故かそれまで着ていなかったブルカを着ている。そしてコーランを熱心に読む。彼女は言う。
「イスラエル兵が一番いやがることをするのだ。武器より強いことをするのだ。」
こどもたちの、生きる、生ききる決意に私たちは感動させられる。
世界に忘れ去られても、自分たちはここで生きていく。そして世界に忘れさせない事ができるなら、それもやっていく。「復讐」を口にする人間はこの映画では誰も出てこない。子供達のみならず、肉親を殺された大人達も、「復讐」を決意するものは誰も居ない。カメラの側の意志もあるのかもしれないが、彼らの誰もが「安易」な答えを用意していないからだろう。しかし、彼らにあるのは「何故?」である。
何故、罪もない人間が殺されなければいけなかったのか。いくら問うてもわからない。私たちにもわからない。
この映画の後半で、ひとびとは復興に向けて、動き始めている。畑を耕し、生活を取り戻そうとしている。私たちは祈る。もう二度と彼らを殺しに行かないでくれ、イスラエルよ。
そして何故、殺す?彼らとの疑問を共有する。
何故、殺すのか?
そして、放り出される。そのあと、どうするかは、観客の側の問題だ。
この映画の監督の古居みずえ氏が挨拶に来ていて、同名の本を買い、サインをしてもらう。オリーブの木のイラスト入りであった。子供連れで来るとさらに、この映画に出て来る「オリーブ」から作った石けんをプレゼントしてくれる。」
午後は、「HIROSHIMA ひろしま」をユーロスペースで見た。
こちらも力作である。しかし、おそらくガザ地区の映画にお客を呼ぶのがたぶん大変だろうことと同じ理由で、上映はあまりされてこなかったらしい映画だ。
ようするに、「イスラエル」と「アメリカ」という戦勝国に気を遣って、お金と人を集めるが大変なのだ。
実写でなく、フィクションであるので、先の「こどもたちはみた」と比べてしまうと、幾分迫力には欠けるが、しかし、戦争が終わってわずか七年程度でこのような告発映画を作るエネルギーがあったことは驚きである。今作る「反戦」映画のうす甘さとは無縁の、強い怒りのエネルギーと理性、そして当時の風俗の再現、何よりも
当時の「肉体」を表現できている、という意味では戦争映画としてこの時代しか作り得ないパワーがある。
当時の「肉体」を表現できている、という意味では戦争映画としてこの時代しか作り得ないパワーがある。
この二本の映画、本当は見せるべきはアメリカ人だと思うのだが、たぶん、大規模にやることは難しい。こんな映画を見ようというアメリカ人はそうとうに知的レベルが高く、しかも自国内で村八分になることを耐えうる人だけであろう。「戦争」映画の扱いの難しさが強く横たわる。それを考えると「硫黄島」二部作を作り得たイーストウッドのなんと偉いことだろう。
さしあたって、この二本の映画は、イーストウッドとスピルバーグには見ておいて欲しい。彼らの良識とエネルギーで翻案されたとき、何かが産まれるかも知れない。
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