写楽展、管総理の次、夏と原発
写楽展、管総理の次、夏と原発
写楽展をやっと見に行った。
写楽は寛政六年、卓抜した才能をひっさげて蔦谷から写実的でシャープな筆勢を持った図像を生み出したにもかかわらず、殆ど一瞬のうちに才能を失って消えて行ってしまう。その消えっぷりが、いったい何を意味するのか興味深い。
最終的な絵柄は、他の凡百の浮世絵と何も変わらなくなる。
どうもこれは日本社会に蔓延する「普通病」、つまり世間に迎合してダメにナル傾向と繋がっているかも知れない、と思ったりもするが、どうなのであろうか。
この国の総理やら政治も、マスコミの「普通病」つまり、エキセントリックな発言やカネに汚い、女に汚い、とテッテー的のつぶされる「普通病」にかかった末に、菅さんなどという恐ろしい普通カビのついた空虚な人物を生み出してしまった。いわば戦後日本が作った空虚な怪物だ。なんでこういう人が産まれてしまったのか、どうやって(政治的に)死んでいっていただくのか、とても興味深いテーマである。あれほど魅力的なオカン、そして薬害エイズの時のかっこよさは、虚像だったのか、それとも変節だったのか。
そもそももう年を取りすぎていると人間、政治家は無理なのだろう、と思うけれど、どうなのでしょう。私は前回このブログで小泉進次郎を推したが、これはむろん半ば冗談で、本当は石破さんになってほしいと思っている。本人もどうやらその気らしい。昔自民党が社会党の党首を首相にしたように、自民に首相をやらせるぐらいの気概が民主党には欲しいけれど、無理なのだろうか。
ところで、原発を否定するのは、大人でない、という言説と、嫌、全て止めろ、という「子供」の意見が今拮抗しているようであるが、今は「子供」の意見に一票である。そもそも今まで「子供」であろうとした人たちは、暴力で退けられていて、やっとこさ、まともな議論が出来るような状況になってきた。電力の一部が原発でまかなわれているのは事実だが、火力の稼働率をあげて、自然エネルギーの開発スピードを上げる、一方、原発は少しずつ止めて収束を考える、というのが、誰が考えても結局至る結論であろう。
ところで、夏はいつも私は冷房のきつさに閉口し、神経痛に悩まされ、夏風邪を引く。今年は少なくともそういう可能性が減りそうで、そのことだけは喜ばしい。今、電車でもビルでも、たいてい冷房は入っていないか、控えめである。関西行くと、やはり無頓着に冷房のきつい建物が今すでにある。チト図に乗って使いすぎてきた冷房は、ここらで正常値に戻したい。
ところで、最近私どもには、欧米勢のお客さんが戻ってきた実感がある。スタッフの日々の努力が実った形である。ボクも頑張ろう。クリスティーズじゃないが、ユダヤ人以外は最低3カ国語以上マスターしないと入れない会社にしようっと。今やると社長以下全員不合格だけど。
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