銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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前原外相の辞任は日本社会の病を象徴している

   

私は、率直に言って、前原さんの辞任は愚の骨頂だと思う。
昨日、宗文洲という中国人経営者の本を購入した。
『「きれいごと」を言い合っても世の中は変わらない』
前書きにはこうある。
「私はきれいごとが大嫌いです。したがってきれいごとをよく口にする人間も大嫌いです。【中略】我々の身の回りを観察してみましょう。社内会議なのに「・・・・・すべきなのではないか」という人がいませんか。(中略)昨日も一昨日もA新聞からもBテレビからも聞いたような無難なきれいごとを言っていませんか。立派で誰からも非難されませんが、その分つまらなくて心に残りません。」
この20年、日本経済・社会が停滞しているのは、日本人が「きれいごと病」に陥ったせいだと、彼は看破する。何より、宋氏が強烈に体験しているのは「文化大革命」の記憶である。きれいごと、のせいで、多くの人があまりにも多くの人が命を失い、あるいは人生をメチャクチャにされた。
日本の政治の趨勢は、マスコミの「きれいごと」攻勢に負け続けてきた。民主党のかかげる「クリーンな政治」はその集大成だ。
在日外国人の献金を受けたから、辞任だそうだが、たかだか25万円を五年にわたって総計受けただけである。こんな「微罪」で辞任なら、金輪際、内閣の一員になれる国会議員は誰も居ないだろう。献金はしたことないので知らないが、献金の際、全員に国籍を確認するのだろうか。すべての国会議員が過去の献金履歴を調べる必要があるのか。これからも未来永劫すべての献金者の国籍をつぶさに調べるのだろうか。そんなことが本当にできるのだろうか。その事務コストは誰が支払うのか。マスコミが払うのだろうか。
献金は「日本人」のみができますよ、というアナウンスを今後余儀なくされるだろうが、この「きれいごと」のコストを誰が支払うのか、という議論のないままに、民主党管内閣という泥舟から逃げ出す前原さんの政治的センスと責任感覚のなさにはああもう、いつもこの人はいざとなるとコウだ、との思いが募る。歴史で言えば、言うことはでかいけど、すぐにポキリと折れる、石田三成みたいなものか。
「みんちゅとう」の議員も、まして加えて、自民党にも、「クリーンな政治」なんてなナンセンスなモットーはもう金輪際やめていただきたい。ダーティでも気骨とビジョンのあるものが、本当の政治、というものだろう。
マスコミが恐いのだろうか。マスコミはお子ちゃまである。なんつったって、彼らは「クリーン」を掲げながら必ずしもクリーンとは言えない集金方法に基づき、莫大な給与を(一部にせよ)もらっているのである。全くクリーンでない。偽善者の集団と言っても過言ではない。と、言い返してみてはいかがか。ま、総攻撃に遭って、あえなくダウンだろうが、皮肉ぐらいは言えるんじゃあないの?
「グレーゾーン金利の撤廃」「個人情報保護」など、一見クリーンだが、実は日本社会の風通しを悪くし、ゆがませ、景気を停滞させる法律ばかり国会は作ってきた。いっそ国会などない方が世の仲良くなるんじゃないの、と極論も言いたくなる。
クリーン、といえば、抗菌なんとか、が流行り、生活環境が「クリーン」になる一方で、花粉症、アレルギー、アトピーが増える日本人の「あらたな病気」環境を想起させる。
いい加減にしろ。
といいたい。
美術は「クリーン」ではない。汚れて、悩んで、苦しんで、ばかばかしさにも耐えながら、浮かび上がる芸術が「美しい」のである。「クリーン」な芸術が欲しければ、イルカの絵でも買ってろ愚か者、と言いたい。

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