ギャラリーフェイク、美術をささえるひとびと
次号のカタログの原稿をWEB的に直してみました。
「ギャラリーフェイク」という漫画をご存じだろうか。「表向き」はダーティだが、正義感がい、名うての目利きである美術商の主人公が活躍する、手塚治虫の「ブラックジャック」とモンキーパンチの「ルパン三世」を足して二で割ったようなストーリーです。
最近ボランティアで来てくれていたスタッフに教えてもらって読んだら、面白い。
主人公は、贋作を専門に扱う、という人を食った商売をしている設定なのだが、そもそも、この話自体が、「ブラックジャック」の構造をパクっている、という点で「コミックフェイク」的な構造を持っている点も物語論的には興味深い。漫画批評でどうなっているのか全く検索せずに書いているので、漫画評論的にはどうなっているのか知らないが。
美術館、美術商、コレクターの三つどもえで美術品を巡る大活劇が活写される。どうも実在する人や団体を、劇中でカリカチュアライズして、攻撃しているのだが、なし全体が荒唐無稽なので、真面目に反論するのもためらわれるという、物語構造になっている。
でもともかく、どこか共感できるのは、主人公の深い悩みと苦しみ、そして喜びが、普遍的なものに繋がっているためだろう。表向きに綺麗な話でも、裏では様々な関係者の欲望と思惑で、思い通りにいかない。
でも、日常は日常。ちょっとしたユーモアや気遣いが日常を明るくし、世間の風当たりが強くても、本当に主人公の事を理解している顧客や、関係者は、仕事に真剣な彼を心から信頼している。
この漫画が、美術商の実際の日常に迫っているかと言えば、そうでもないですが、でも、美術に携わる人々の魅力、あの顔この顔を思い出して、何か真実に触れているような気もする。
美術商や学芸員など、美術の世界を裏で支える人はたくさんいる。とくに美術商や型にはまらず、性豊かで、話していて飽きない、人が多い。
実は私どものようにお客様に直接接するのではなく、「相場師」的な人や、「美術館」、「百貨店」専門の人、「うぶ出し」屋さん、「会」屋さんなど、さまざまな仕事のやり方の人がいて、日々シノギを削っているが、(ぼくの好きな人、尊敬する人に)共通しているのは、「美術」が好き、もっといえば荒唐無稽なる美術のむこうにいる荒唐無稽なる人間なる存在を愛していることのように思える。
様々な先輩と仲良くなって、品物のことでも、相場の事でも、かなり多くの範囲で少しはこなせるようになったのも、そういう真剣に生きている人たちのエキスを分けていただいたり、実際に協力してもらったりしているためだ。
私は、販売にしろ、買取にしろ、お客さんと自分たちの顔が見えるやり方がやりたい、と思って、仕事を始めたが、専門性を高く持って、黒子に徹する魅力のある人たちもたくさんいるのがこの業界のまた味のあるところだ。
銀座の若い仲間とは『画廊生活』という雑誌企画も進んでいる。今第三号の企画を考えている。美術商のノーミソの枠を取り払う仕事がしたい。
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