銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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田中一村

   

千葉市美術館で開催中の田中一村展に行きました。

幼少時の呉 昌碩(ご しょうせき風の作品からかなりの資料点数を集めていて、この作家を考える上で必須の展覧会になっていますので是非どうぞ。混んでますが。
しかしこの一村という作家の事を考えると、何か憂鬱な、モヤモヤした気分におそわれる。
幼少時からあれだけの作品構成能力、描写力を備え、大人になってからも、新しい画風に見るべき点がありながら、ブレイクできなかったのは何故なのか。
私はその理由を「上手すぎたから」「自信がありすぎたから」という仮説を、つらつらと考えていた。
10代から20代前半の呉昌碩風の画風は、あまりに完成されすぎている。そこが彼の核になっていたようだ。おそらくひどくまわりに褒められたであろう。しかし20代でオリジリナリティの必然性に気づき、画風の模索を始めてから、いささかの迷走に入る。入ってもよいのであるが、どうも自尊心が強すぎるきらいがあるのが気にかかる。
奄美の島で、一村は画壇や現在の数寄者ではなく、未来の発掘者に向けて、自分の「遺跡」を作り始めた。その試みはこうして成功を収めた。
でも少し、さびしい。
絵画技法の面、生き方の面、画壇との距離の面、育ち方の面、現在の受け入れられ方の面、さまざまな面で一村の世界は自分には「謎」をつきつける。

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