京都で長谷川等伯
ナゼニこんなに入場者が多いのか。
ヨノナカの全体的傾向としてよく美術業界でいわれる「掛け軸は需要がない」、日本の古美術に対する一般人の興味はうすらいでいる、という「伝説」を裏切るかに見える風景である。
それは東京国立博物館と京都国立博物館にできた行列である。
私は東京の「長谷川等伯」展を見に行ったが、あまりの行列の長さに諦め、先日京都で再挑戦した。こちらでは空いているかも、という期待はうれしくも?裏切られた。列は一時間半待ちであった。土曜の朝であるから、平日ならもう少し空いているかも知れないが、いずれにしても、これだけの反響はなぜ?とギモンに思った。
正直に言って、たんに商品としての長谷川等伯には、あまり興味がわかない。なぜなら、真作が市場に出てくる可能性が皆無であるからだ。いや、皆無といってはいけない。どんな事にも可能性がある。ただ、若冲や応挙、蕭白の作品を扱う事は日常あり得るが、「等伯」を扱う可能性はそれに比べればきわめて低い。
そもそも等伯の真筆と言われるものがこの世に展覧会を大規模に開かれるほどにあるのか、と思っていたが、今回の展示を見て、それが私の無知による考え違いという事を知らされた。若年期の仏画から、晩年の水墨画まで、壮大な展示であった。
一般の方の興味をひいたのは何であるのか、今回の担当主催のメディア対策については調べていないので、PRの方面はわからないが、展示ソノモノの魅力は、等伯が当時のカゲキなメディアアーティストとしての資質を持っている事だと感じた。たとえば、金地の屏風に波と岩をあしらい、解説によると波が眼前に迫る「3D」画面の構築に成功している。「掛け軸」「屏風」の一般的な描き方の約束事を十分知りつつ、その枠組みを壊してみせる柔軟さとサービス精神がうれしい。
狩野派のような政治と結びついて江戸期をすべて支配する流派にもならなかったし、四条派のように多くの傍系を産みもしなかったが、琳派や若冲などアバンギャルドな作品群への幕開けを告げるものであったことがわかる。その「新しさ」が人々の目を引いたのではないか。
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