銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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週刊現代 「東大までの人」と「東大からの人」

   

東大卒の評価を厳しく書いていて面白く読んだ。現役東大生のレベルの低さ、卒業生が無駄なプライドが高いわりに組織片の親和性が低くて使いにくいことなど、一方で極めて優秀な人材が今も輩出しているという現役教授の意見などが披瀝されている。

おおむね的確な指摘の記事であろう。

ただ東大がどうのこうの、というよりも、自分は日本の大学というシステムに懐疑的である。日本国の大学に行くぐらいなら、アメリカかイギリス、今なら中国でもよいかもしれない、外国に行ったほうがよいと思っている。子供にもそう言っているが、彼女たちはどうも意味が分からないようだ。

僕は東大に行って、授業のあまりに面白くなさに辟易した。ま、理解する能力が低かったということもあるのだろうが、人生の貴重な時間を割いて、あの本を読めば圧倒的に早く習得できる板書中心の授業をおとなしく座って聴ける人間がいるとしたら余程の愚直な人たちであろう。

私が授業(というかゼミ)に出て面白かったのは、蓮實重彦の映画講座、見田宗介の社会学ゼミ、最首悟先生のゼミ+裏ゼミ(助手室での飲み会)のみである。あとはもうひたすらに退屈であった。(女性学ゼミ、なんてのにも出てたな、これは正式なゼミじゃないけど。ちなみに事業仕分けで蓮舫にやっつけられていた会館に私は泊まったことがある。あの頃はまさに偽善的に男女同権を考えていた。)したがって、映画製作と演劇制作に明け暮れていたというのが実態である。麻雀に精を出す連中や、学校で見かけなくなる連中も多くいたが、ただ無為に日々を過ごすということは絶対に耐え難かった。しかし多かれ少なかれ、キャンパスというのは概ね退屈な場所であった。

律儀に授業に出る連中もいたし、そのおかげでノートを見せてもらって卒業することができたが、がしかし、ああいう教授陣と学生たちのアリバイ作りのための学校システムというものが続くのは不幸なことではないかと思う。「東大でさえ」そうであるのだから、他の大学でも五十歩なのではないか。

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