民主党の未熟さは面白いけど
民主党が沖縄の基地をめぐって、閣内不一致を嘆く報道をテレビでやっている。
不一致、というけれども、閣僚がすべて打ち合わせ済みの発言、または無言を貫く政治運営も「不透明」で詰まらない。反対に不一致だと、「議論のプロセス」が図らずも国民に見える形となる。
頼りない、情けない、と見ることもできるし、実際そう思うけれども、「一致」あらかじめしている場合も、やはり国民は不満に思うだろう。
結局どちらに転んでも政権に対しては不安か不満を抱く物ではないか。
ただ、この現在の小学生の学級委員的運営が国難を招くやも知れず、おもしろがっていても仕方ない。
この基地問題については、マニフェストで無理なことを約束したが、実際には無理なのだから、いかにちゃんとマニフェストをやろうとしたか、というアリバイ作りをみんなでがんばりました、国民の皆さん認めてね、わかるでしょ、アメリカも少しは配慮してね、民主が安定政権になるために、というポーズをとり続けているに過ぎないことは、国民の多くが見抜いているわけで、悲しいお芝居である。
ただ、沖縄以外に受け入れ先がない、というのもずいぶんだなあ。いっそ籤でもひいたらどうか。あるいは自衛隊ならよいのか。自衛隊を増強するのか。
九条と国防について、マトモに議論する知性を醸成できるといいのだけれど、今の政府の頼りなさ(自民党も含めて)って、結局昭和10年20年代の未熟さとつながっているように思う。民主主義と政治家指導のバランスが未だにとれていないというか。関東軍をコントロールできなかった事と、九条を議論できない決断ができなさぶりが共通しているというか。
日本人って特殊なんだろうか、こうアイマイにしてしまうところって。組織の意志決定過程の合理性と非合理性について、日本人論を読みたい、書きたい。
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