銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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大交換会、最終入校、日本とは

   

今日は非常に規模の大きいディーラーズオークションであった。
二点ほど入手。なんと、加山と大観。
しかし、業界の相場はなんといいますか、高い物は高く、安い物は安い。景気はやや戻りつつあるか。元気の良い同業者も多い。

カタログの最終入校日。やや作業は殺気立つ。

夕刻、野呂さん画廊巡りご一行を連れて来廊。素敵な年配の紳士淑女たち。どんな方々なのか興味あるが、自分の話ばかりしてしまった。日本の土着の文化に根ざした画廊として、みなさん、野呂さんに意義を強調していただいて、とてもありがたい。川崎さん、相変わらず元気いっぱい。元気をいただきました、有り難うございます。日本文化発信の気概をいっそう持ちたい。

カタログやHP関係の人材が必要になりそう。近く募集再開予定。

帰りに本日発売のサピオを買う。小林よしりんが、サヨクの全体主義的傾向を警戒せよ、と説く。これには激しく同意。自分以外の意見を「しゃべらせない」のが「正義」を主張する「サヨク」の最も悪い傾向。小林が嫌いな佐藤優も彼によればその分類らしい。この辺は双方の肩を持ちたいけどなあ。

共産党、話だけ聞いてると時々良いことを言うが、やはり恐いのは彼らの心性。「正しい」と思うことをしている人は、案外簡単に人の自由を奪おうとする。ソ連がとてもわかりやすい例。左翼的な心情と全体主義的傾向は必ず結びつく、というのは極論にも聞こえると思うけど、相手の話を聞こうとする姿勢があるかどうかは、つぶさにコミュニケーションすれば、おのずと見えてくるのではないか。

一方、禁煙主義、シートベルトの着用義務、個人情報保護など、「正しい」とされることを『全員』に押しつける、全体主義的傾向は、今の日本をじわじわと覆っている気がする。美術倶楽部も全面禁煙。何でかなあ。

全体主義的傾向は、日本に限ったことではないけれども。

本当に正しい、と思うこと、すなわち、人に思いやりがある、人が嬉しいことをする、という実質を伴った行動はよいのだけど、「主義」や「押しつけ」は恐ろしい。

マスコミは常に「強者」の「正義」を代弁して、全体主義を押し広げる危険がある。戦前の軍国主義も、戦後の反戦平和も、まったくおなじ心性から来ている可能性が高い、ということがすごく恐い。朝日新聞、ぼくは毎朝読んでいる。それなりにいろんな意見があり、それなりに反省もするところはよいのだけど、ええかっこしいで、世論をミスリードして反省しない、無謬主義、という感じは、よく受ける。自分たちの愚かさを自覚すると、もっとかっこいいのにな。だいたい誰でもおろかなのだ。その愚かさを自覚するところに、優れた芸術、映画、演劇、小説が出来る。ええかっこしいには、決して、書けない。マスコミに就職すると、あまりに影響力があり、あまりに給料が高いので、自分がエライ、と勘違いするんだろうな。筑紫哲也も、古館も、そういう面を感じる。「正義」を標榜するハトさんも、あまりに幼稚。偽善者、という事を自覚すると、かっこいいが、無理かもしれない。筑紫さんは死んじゃったけど。久米宏は、ちょっと複雑かもしれない。そういう意味では、文春、サイゾーなど、適度に屈折しているところがよいけれども。

どんなことも、自分で立ち止まって考えたい。それが赦される日本という国に生まれたのはありがたいけれども。なんていうのもええカッコシイかな。まるで太宰の「トカトントン」だ、自己陶酔の太宰は嫌いですけど。

今日のサピオでは、いかに日本が優れた国か、ということが特集されていた。自虐的に語る部分が普段あまりに多いので、とても参考になる記事。巻頭の三浦朱門と、曾野綾子の語りも切れ味と深み有り。本当によい保守は見識があるなあ。同じ保守でもイランのそれとは意味が違う。ヒステリーはいやだな、寛容で、質実剛健で、優しく、厳しい、そういう思考と行動をしたいものである。

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