養老先生の講演
面白い!期待しないで行ったのだが、当面影響を受けそうだ。
『バカの壁』養老孟司さんの講演を東京商工会議所の懇親会に「人寄せ」企画として聞きに行った。
うーん、なるほど。
一時間以上の講演なので、ここで全部は要約できないが、いつも彼が主張している、「理屈でわかる範囲の限界」というものを生き生きと説明していて面白かった。
この世の中を全部理屈で割り切ろうとしたって割り切れない。そのことを現代の人は勘違いしている。
たとえば、国会。毎日法律を作っている。それで世の中が良くなると信じている。それで世の中良くなったか?なってないだろう。そしてたいした意味がない、ということも私たちは実は知っていたりもする。
一例。都会人が決めたルールで、過疎地がおかしくなっていたりする。最近過疎地の畑には鹿や猿が出て困っている。
何故か?
それは、犬とは鎖につなぐ物である、という都会の決めたルールが津々浦々まで行き渡っているから。猿は犬がいると怖がって出てこないのだ。そこらへんに人間=左脳が作った社会の矛盾が現れている。
教育も、政治も、みな、理屈で全て割り切れる、と考えることに間違いが始まる。
たとえば、教育。オトナは子供にこうあるべき、と教えるべきと思っている。彼らは判断力がないから。
しかし。
実は、子供の方が「感受性」「学ぶ力」はオトナの一〇倍あることを忘れている。目の前の子供を見ないで、あるべき姿ばかりをアタマで述べて、教育をおかしくしている。
教師と警官の子供は不良が多い、とはよく言ったものだし、立派な一族でも、昔はかならず鼻つまみ者がいる、ということが経験則で知られていた。それは当
然。エントロピー増大の法則、熱力学第二法則で、「秩序が存在すると、かならずそれと同じ大きさの無秩序が発生する」と決まっているからだ。宇宙の法則。
たとえば、このインターネット。あそこに新しい何かがある、と信じてやいませんか。あそこにあるのは「過去」である。経験できる未知の何かなど、ゼッタイにない。人間が入力した物だから。こんなに後ろばかり見て進んでいる社会は今までなかったのじゃあないか。若者は最先端に触れているつもりで後ろばかり見ているのである。進むのは前を見て進むべきじゃないのか。
人間が、その「意識」でもって、全て割り切れる、という「意識」のもとに社会を作るのは危険である。たとえば排出権取引。あれは理屈である。
理屈でわかる範囲など、ごく小さいことを、自覚するべきである。
・・というような事であった。他にも脳の働きの具体例など、面白い。
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