肯定と否定
全肯定と全否定
一週間に、ある人に全面的に肯定され、またある人に全面的に否定されるような経験をした。
いずれも主として「人間性」についてである。肯定は2,3ヶ月のつきあいであり、否定は三十分程度の人である。しかし否定される方がインパクトが大きい。
会社からリンクのある「社長ブログ」に個人的なことを書くべきではないのだろうが、オープンマインドであることが私や、秋華洞の持ち味と思っているので、ここに書かせていただく。
肯定、についていえば、会社や私や父が持つ「気」が綺麗だ、という事を言ってもらった。。実は実際私が会社で目指しているものは、そういうもの、つまり気持ちのいい、誠実な会社、組織、であるので、うれしい。父・会長はかなりの変人と思っているが、女性やある種のお客様には受けがいい。それは暑苦しくない優しさのようなものだと思う。だが行儀がよいとはお世辞にもいえないので、茶道の方など、礼儀を重んじる方から見ると、見ていられない人だと思う。私も多少改善されているつもりだが、血は争えない。だが何かよいところがあるとすれば、ニンゲンに対する愛情のようなものだろう。
組織が生きていこうとする以上、気が弱い事を補おうとするような優しさではない。仕事や他人に対する真剣さのようなものだろう。
一方で、否定された人には、生半可な知識で美術を語るな、という事であったと思う。その点については、大いに反省、謙虚にならなければいけない。この業界の若い人は、実によく勉強している。三十代で本格参戦した身としては、ゆっくりしていては、とてもではないが追いつけない。浮世絵、墨跡、近世書画、近代絵画、さらには西洋絵画、現代美術、さらには文学、歴史、そして美術流通史など、書物にあるもの、ないものも含めていくら追っても足りると言うことがない。勉強が足りない、ということは常々思っているところで、指摘されれば返す言葉がない。あるいは謙虚さか。
だがいずれにしても自分が果たすべき、自分にしかできない役割というものはあると思う。あるいは役回り。
パソコンがすき、物理・科学がすき、映画がすき、ヒトがすき、オンナがすき、人情がすき、笑いがすき、勉強が好き、挑戦が好き、という事だ。そしてたまさか、美術商の息子として生まれたという境遇。他にも優れた人は各分野で当然いるだろうが、自分の巡り合わせを最大限に生かすことが大事ではないか。
日本人の美術を、日本と世界の家庭に送り込むこと。日本人の誇りを再生し、深めること。その変化をもたらすこと。そのために最大限の勉強と表現と働きかけをすること。
未熟さをこれからも指摘されるだろうが、あきらめずにやっていきたい。
- PREV
- 会社のオーラ
- NEXT
- カンブリア宮殿という本