「俺は、君のためにこそ死ににいく」、と「クイール」
俺は、君のためにこそ死ににいく
土曜日に、「俺は、君のためにこそ死ににいく」という長い題名の映画を見ました。
石原慎太郎は部分的に尊敬しているのだけど、映画は作らない方がいい。
映画は無残なほどにその人の総合力があらわれる。日本を守る、という気概のあったかつての日本の青年を礼賛したい、という動機はよくわかるし、別にそういう意図で映画を作ってもかまわないが、映画はやはり対象をよくつきはなして、感情移入できる仕掛けを巧妙に作らないといけない。安物のセンチメンタリズムでこんな映画を作っては、それこそ特攻で死んだ若者がかわいそうである。
そういえば彼の息子も政治家だが、期待していたがやはりもうひとつピリリとしない。政治記者の友人に聞くと意気地のない最低の男だという。私は別に面識がないし、時折啖呵を切る様子はがんばっているようにも見えるが、しかしテレビでもどこかいつもはぐらかしてばかりいる様子が目立つヒトだ。
なので、石原慎太郎はいいこともいうし、おもしろいヒトだが、映画作りと子育てに関してみると残念な感じだな、と思います。スキなんですけどね。もしこの映画が心からよくできた、と思っていたら、残念。
私は商人であるわけで、全方位外交が必要なわけですから、政治的な事はいわない方が花、だと思いますが僕はどちらかというとナショナリズム、つまり国の誇りを大事にする、極端に言えばウヨク、という考え方に賛成なのだが、政権を投げ出した安倍さんといい、こんな映画を作る石原さんといい、右翼的なヒトの基礎体力と知的バランス感覚があまりに脆弱で、結局保守あるいは右翼も軟弱というか、あまりに観念的なことの馬脚を現してなさけなくなる。僕の友達が何人かいる朝日新聞的・筑紫哲也的「正義感」にも困ったモノですが、こうした「保守」のセンチメンタルもこんな安っぽいモノか、と思われてはかえってマイナス。
日本の戦争は正しかった、という主張をする映画を、もっと映画作りのプロにまかせてはどうか、たとえば、次の映画。
クイール
「クイール」。今日は子供たちと半分みた。素晴らしいでき。崔 洋一監督、さすが!盲導犬のオハナシなんだけど、人物造形もカメラワークもとってもフットワークが軽くてリアリティがあって、最高。
特攻隊の話は、こういう監督(引き受けないだろうけど)や、クリントイーストウッドなど、感動のツボを知っている監督にやってもらうべきだろう。登場人物に「この
戦争は正しい」といわせたってかまわない。ただそうした主張が説得力を残念ながら持たないのは「正しい戦争」というものなどない、と、いうことにより本当のリアリティがあるからなのだろう。むしろ日本には日本の言い分がありました、ということしか「映画」はいえないし、そうでないと感動は与えられないのだろう。
自分たちの戦争は正しい、としようが、日本の戦争あるいは世界の戦争はすべて間違ってます、としようが、決めつけがあると、やはりメッセージは空回りして押しつけがましくなる。むしろ、戦争ってなんだろう、ニンゲンってなんでこうなるのだろう、というギモンがないところには芸術、つまり人の心を動かすことはできないのじゃないか。
あーでも、ともかくクイールはいいです。(′∀`)
- PREV
- カタログ16号出来ました!!
- NEXT
- 女は賢く勁(つよ)くあれ!