怖い開会式
オリンピック、開会式を先日テレビで見ました。
あの集団太鼓のカウントダウン、花火で、感じたのは、喜ばしさ、よりも、率直に言って、恐ろしさでありました。国家の威信をかけて、意地でも派手にしかけた五輪。
チャン・イーモウは好きな映画監督ですが、国家の意思を背負っての仕事をする人なのね、と思うとやや興ざめする部分もあります。
中国は、私たち日本の文化に多大なる影響を与えています。いやでも毎日、中国の影響下にあるところの文人画を普段見て、扱っているわけです。漢詩の画賛など、毎日のように手にします。
中国文化は長いけれど、やはり、今の中国という国家は若い。欲望の赴くままに周囲をなぎ倒して進んでいく印象があります。(そして彼らの急成長した経済力に、私たちはおおいに既に恩恵を受けています。)かつてのイギリス、欧米列強、そして日本にもそうした時代がありますが、なにごとにも限界と適度感覚というものがある。すでに強者になってしまった自分を自覚して、物事にあたっていく必要があるでしょう。
それにしても中国という国家の、この激動の近代(辛亥革命、日中戦争の「勝利」、文化大革命、天安門、改革開放、オリンピック)を貫く心理には極めて興味深いものがあります。現代アートが伝えるニュアンスも十分に読み取っているとは言えない。日本の現代アートがあくまでどこか自虐的、自傷的、ウエットな傾向があるのに比べ、攻撃的、直接的、乾燥的。この違いは、何なのだろう。