銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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小山登美夫さんの本

   

小山登美夫さんの本を読みました



小山登美夫さんの本を先ほど読み終わりました。「現代アートビジネス」。ちなみに柳画廊の野呂洋子さんの本も今読書中。(読みましたよ、と先月ご本人にいっちゃったのですが、正確には読みかけでした、済みません。)



非常に内容が平明で読みやすく、面白い本。現代アートの業界の仕組み、行政も含めた美術業界の問題点、ビジネスとしてのアート、を立体的にわかりやすく書いていて、バランスが良い。



古くはですね、画商が書いた本はいくつかあります。フジイ画廊さんのオヤジさんが書かれた本、丸栄堂の浅木さんのお父様、それと村越画廊のお父様、それとですね、壺中居の不弧斎さんが書かれて最近出た本。私はこうした実務に携わった人たちの書く文章がスキです。


なぜなら、みなお金儲けをどうすんの?という点を率直に書いているから。しかも批評ではなく、自分の実体験を元に書いている。商売をして日銭を稼ぐということは日々とても生々しくドラマのあることで、ご飯を食べたり、セックスをしたり、というニンゲンの動物的欲の次に大事な営みなんですよね。だからイタミや苦しみも、喜びも、とっても率直に伝わってくる。「美術の流通をどうにかしたい」、とか「いい物を届けたい」、とか、タテマエ的なキレイゴトよりも、その人が丁稚時代から、どう努力してどう認められたか、それこそ本当にゴハンを食べるためにどうしたか、嫁さんが来てくれるためにドコに頑張ったか、そういう事が正直に書かれていたりするのですね。商売人のボクの好きなところは正直さなんです。


小林秀雄とか、蓮実重彦先生とか、評論家の偉い人は格好いいけど、生々しさ、という文体の点では当然実務家にはかなわない。もちろん、先生たちもそのことは実感していると思うけど。


ただ、商売がうまくいくためにも、いわゆるキレイゴトは、非常に重要。いうまでもないですが。目先の利益ではない、一生、あるいは自分も死んだ後の事業、というものを考えると、人様に信用されること、愛されることをしないと、続いていかない。


この本は、実務家が書かれているので、情勢の分析と、そこに商売人として自分がコミットしていることと、コレクターのありようの実態、そしてこれからのあるべき姿の提案、などが理想と現実についてバランス良く描かれている。だから説得力がある。


ところで、現代アート、という業界とですね、骨董屋さん+近代美術の陣営は何故かキレイに分かれていてあんまり接点がないのです。何故か。


多分、現代アートの業界の人が比較的既存の美術界とは距離のあるところから、スタートした人が多いためではないかと思うのですが。またお互いにあまり良くも思っていないのかな。「あんな評価の定まったモノに安住して」「あんな訳のわからないモノをもったいつけて売りやがって」とかね。いや皆さんどう思っているのか知らないのだけど。


だからその業界の事をわかりやすく書いてくれたのはとても興味深いことでした。そして、日本と世界の状況を現代アートのギャラリストとして、俯瞰的に述べてくれたのもとても面白かった。


そして、本来、現代アートも古美術も垣根のないところで、マーケットあるいは教育行政を作っていくべき、というところはそうだと思いました。


ところで、ボクは、現代の美術の質についての問題は、既存の団体点から出てくる作品の多くは、「現代」あるいは自分の実感と切り結んでいるものがない、という所だと思うし、現代アートのほうは、伝統から離れて個人の趣味、あるいは「現代アート」の小さな文脈の中でクニャクニャいじくりまわしているところじゃないかと思います。「現代アート」文化圏から出てきても「既存の老舗美術業界」文化圏から出てきてもいいのだけど、歴史という縦軸、社会や、他のメディア(文学、映画そのほか)等の横軸を、そして<自分>の物語という座標の視座から遠く視野を広げた作品を作るべきだと思います。そういう人を応援したい、あるいは稼がせてもらいたい、と思います。


今岡本太郎の本を読んでますが、面白いな、美術についてとても基本的なことがこれも平明に書かれている。山下先生が「岡本太郎宣言」という本を書くわけだな(未読ですが)。ぜひみなさんも読んで下さい。




 


 


 


 



 

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