なんでも辞めろというな、など。
なんでも辞めろというな、など。
空き時間を利用してちょっと一言。
自衛隊の事故で、大臣やめろの大合唱だが、何かあると単純にやめろ、という民主党とマスコミの反応は、条件反射的な物言いしかできないという意味で、困ったものだと思う。
石破大臣の能力や責任について、吟味して、では辞めて変わった方が防衛行政がよくなる、という考えがあってのことなのか。
民主党については、ずっと期待して見守っているのだけれど、鳩山さんが、小泉政権の初期に、敵にエールを送るような発言をしたことで、内部批判され、「何でも反対民主党」的なモノイイを、やらざるを得なくなった。ホンネかどうかわからないことで、とりあえず批判することを担保した、というような発言ばかり民主党幹部はしている。議論のための議論などしているような場合じゃない。もう少し政治家に思想的あるいは現実的裏付けのある発言を期待するのは無理なんだろうか。
テレビタックルなどテレビショウを見ると、政治家の苦しい立場やホンネが表情からうかがえて、情報としては有益だけど、自分の所属する政党に沿った意見を言えば、タテマエの嘘寒さが漂い、ホンネを言えば、政党内不一致と呼ばれるところが悲しいところだ。
タテマエとホンネというところでいえば、新聞と記者の相克もある。朝日新聞は左、ということになっているが、案外ひとつの事象、たとえば中国や韓国がらみ、あるいは憲法がらみの記事でも、社説とコラム記事で論調が違うことがある。週刊文春あたりは、新聞内で意見が違うじゃないか、と矛盾を批判する。もっと新聞ごとに主張をハッキリさせたほうがいい、という意見をどこかで読んだ。
しかし、朝日のいわゆる自虐史観や憲法観には?マークを感じることも多いが、サンケイや読売(とっていないけど)の論調が統一されていることがよいかというとむしろギモンである。一紙や一党で、綺麗に意見が整うのがよいとは思えない。だってそれって思考停止ということでしょう。
そもそも学生の時の就職先選びなんて、さほどイデオロギーで考えていない。たまたま、という要素が多かろう。さらにいえば、学生の時の思想なんて、大人になるにつれて、変わっていくのが当たり前だろう。にもかかわらず、会社のイデオロギーだけに頭がなるとしたら、その人物は自分の頭で考えたことがないことになる。政党だってそうだろう。
政党はしかし一枚岩じゃないとなると批判され、一枚岩となると退屈である。共産党は、たまにいいことも言うかも知れないし、まじめな人も多いだろうが、あまりに綺麗にしゃべり方から思想まで統一されているのがコワイ。
組織と個のありよう、というのは、ずっと気になっているテーマである。論理的に考えること、ユーモアをもてること、感性を磨くこと、このあたりの訓練が出来るといい個人と組織になるのじゃないかな。だからもっと本を読みましょう、映画と演劇見ましょう。もちろん美術館へも行きましょう。そして文章や絵を書いてみましょう。
日銀総裁人事の議論も不毛だと思うが、議論になったことで、人事への興味がマスコミを通じてわくことじたいはいいことかも知れない。ただ、お金を使って取材しているのだから、事実関係をよく調べた記事を書いて欲しいなあ、マスコミには。
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