銀座の画廊<秋華洞>社長ブログ

美術を通じて日本を元気にしたい! 銀座の美術商・田中千秋から発信—-美術・芸術全般から世の中のあれこれまで。「秋華洞・丁稚ログ」改題。

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自分で考えること、流されないこと

   

小林よしのりが「ゴーマニズム宣言」で世の中に「隠れ小林よしのり読み」が多いことを喝破していた。なるほど、そうであろう。私も読んでいるが、あまり話題にしない。

彼が言うのには、芸能人などは不特定多数を相手にする商売のため、一定の政治的意見を持っているように思われるのは不利になるために読んでいることを悟られまいとする、という。その通り、私も商売をやっている以上、政治的な偏りを持っているように思われたくない。

しばしば政治的な意見をこの場でもそれでも書いてしまう。なぜなら、マスコミの発信する意見があまりに類型的なものが多いためである。

たとえば、最近気になるのは「テロとの戦い」という言葉である。「テロ」イコール悪、というもう無前提の決めつけがある。悪をテロ、と定義しているかのようである。

「テロ」とはどう定義されるのか、一般論としてはwikipediaでも見ていただいたらよいと思うが、端的に言えば「小規模の暴力」であると思う。日本の歴史で言えば、たとえば幕末の「新撰組」もテロであろうし、「倒幕」もテロであったろう。これらのテロはやがて「鳥羽伏見」から「官軍」と「幕府軍」という「戦争」の規模に発展し、その後の「薩摩」対「官軍」(もともとは薩摩が官軍の主力であったにもかかわらず)ねじれた戦争に続き、その流れから日本の幕末史は、今から見て特別に悪者を作らず、双方が信念を持って戦った、という位置づけになっている。

「小規模の暴力」と「大規模の暴力」のどちらが「正義」か、というのは、これはよく考えてみなければわからない話である。たいていは「勝者」が「敗者」を悪に仕立てる。あるいは情報量を多く発信できる方が勝つ。ようするに、たいていどちらの立場にもそれなりに「正義」がある。ところで、このたびの「大規模な暴力」の側の正義、これはアメリカの論理であって、日本が簡単にそこに乗ることは思考の停止を意味する。

ただ、アルカイダや麻原がやったような「テロ」は不特定多数、利害当事者以外の殺戮である。規模のモンダイだけではないが、大規模の側がでは渡して利害当事者以外を殺していないかと言えば、現代の戦争においては大いに殺しているため、話は複雑である。もちろんアルカイダと麻原のテロはロジックも「相手」も異なるので、同時に議論は出来ない。日本の現実は別の意味で錯綜している。

「なぜ殺すのはいけないのか」という事を、真剣に議論できなきゃだめじゃんか、ということをよく太田光がテレビで問うているが、なぜテロはいけないか、というモンダイにも通底する。たとえばパレスチナではある日突然親や兄弟をミサイルで殺される。殺されて孤児になった人間がイスラエルに復讐する。そしてイスラエルの報復。そのことは断ち切らなければいけないが、どちらかの側にだけ立って片方の側を「テロ」といい、「テロとの戦い」というのは、当事者の結束には役立つだろうが、あまり公平な考え方ではない。

ところで、私は10代、まじめな議論、というものがおきにくいヨノナカ、というものにひどく空虚を感じていたが、最近、自分なりの考えを批判をおそれずに言う立場のトリックスターが出てきて希望を感じている。先ほどの小林よしのり、太田光は、それぞれ意見は違うが、常識に流されない、本当はどうなんだよ、という事を問うていて、見ていて清々しい。それでいて、自分の決めつけをどこか醒めてみているあたりも共通しているあたりのスタンスもいいと思う。漫画家、漫才師、という立場がそのあたりを柔軟にしている。

小林も、太田も、こちらが思いもつかない視点を時々提供してくれる。ときには暴論も覚悟の上である。そこで考えることを問われているのは私たちの方なのだ。

ところで、小林が嫌いな田原総一朗も私は好きなのだが、小林の指摘するように、決めつけを司会にもかかわらず少々ふりかざしすぎなのは私も気になる。しかしテレビタレント的にもふるまう彼の性癖と見れば仕方ないかと思うのですが。

ともかくも、マスコミや「みんな」に惑わされず、事実はどうなのか、という事をベースに、自分イズムを作ること、が大事じゃあないかと私はいつも思っている。テレビニュースのコメンテーターの言うことを真に受けて「街頭インタビュー」で受け売りで答える人々にはあまりならない方がいい。僕の大好きな友達は、なぜかテレビの街頭インタビューに出くわすことが多いそうだが、そのたびに、わざと相手の期待する答えと反対のことを言うそうである。そのためニュースで使われた試しがないそうな。まあそれもまあなんだかだが。

自分で考える、そのためには頑固じゃなくて、本当の素直さ、とより多くの好奇心が必要なんだと思うのですが。そういえば母校の武蔵のモットーも「自ら調べ、自ら考える」だっけ。そしてヨノナカの若者は案外たくましく自分で考えるようになっているのじゃないかと勝手に期待しているのですが。

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