寄る飯
妻が子供の相手で疲れたから食べて帰ってという。
そこでアルバイトの大谷君と「あん梅」に夜飯を食いにいく。
干物の店だが、高い。だけど、いい店である。
最初に、箸おきと割り箸を持ってくる。この箸おきが、小魚の干物である。
この時点で、「ウチはフツウの店じゃありませんよ、」とブロックサインを出すしかけになっている。
器もひとつひとつ、凝っている。玉子焼きをたのんだが、下駄を履いた俎板皿に乗ってくる。この皿が、ふっくら焼いたあられ餅のような色形をしている。取り皿に使う中皿はちょっと風味のある志野焼きである。
実はしかし、こうしたことによく気がつくのは大谷君である。たとえば、お茶漬けを入れたフタツキのお茶碗の正面をきちんとお客に向けなおす給使の和服の女性の所作を見逃さない。彼は独立して活躍する夢がある。夢を持つことが観察につながっているのかもしれない。
お茶を習ったことで、そういうことに気がつくのかもしれない、と彼は言う。僕はお茶を半年ぐらいだけ習ったが、どうしてもなじめないのは、先生の言うことに唯々諾々と従う雰囲気である。ただただ、スムーズに、先生のいうことを唯々諾々と従い、唯々諾々とお金を払い、唯々諾々と昇進する、そのことに何の疑問も感じない人たちだけで成り立っている世界だとすれば詰まらないことだ。どこかに溶け合わない、刃のようなものを隠し持っていながら、唯々諾々と振舞ってみせる、という緊張感がなければ面白くないと思う。最初っから脱力した人が脱力してもつまらない。
けれども、彼のいったように、日常の所作の大事なポイントに気がつく訓練として、習い事の道はいいのかもしれない。お茶の道というのは、私どもの商売と密接に結びついていることもあるので、いつかまた習おうかしらとも密かに思っている。
ところで、カタログはまだ出せていない人が残っている。もういい加減にてこ入れが必要だ。明日はやりきろう。
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